東日本大震災から何を学ぶか

絆、日本再生への道

一、大震災
 ユーラシア大陸の東の端に沿うように走る日本列島。さらにその遙か東から、太平洋プレートが西へ西へと押し寄せ、ユーラシアプレートに挟まれるようにしてあるオホーツクプレートへとぶち当たり、そこから地球内部へと深く沈み込んで日本海溝が形成されている。
 その沈み込む場所の歪みによって発生するのがプレート境界地震であり、数百年に一度の規則的な周期をもって巨大地震が発生してきた。そして、昨年の三月十一日、それらの境界地震が最悪なことに複合して起こってしまたのが東日本大震災なのだ。
 過去の凄惨な体験を気にしながらも、自分たち人間の経済活動のしやすいように計画し、作り上げてきた技術的・物質的所産である「文明」が、悉く自然の猛威に無惨にも破壊されてしまった。そして、多くの尊いいのちが奪われた。我々はこの大震災を永遠に心にとどめておかなければならない。子供たちの未来のために。

二、原発事故
 スリーマイル島とチェルノブイリの原発事故は、恐怖心を伴って今でも我々の記憶に深く刻まれている。しかし、日本には、高度の技術と何重にも渡る対策により原発の安全神話が定着し、誰しもが先のような原発事故が起こる筈がないと高をくくっていた。
 設計基準事故を大きく超えた過酷事故つまり、シビアアクシデントをどのようにマネージメントするかが事故の被害を最小限度に留める手だてであった。
 ところが、福島沖の地震は、震源地から原子力発電所までかなりな距離があり、原子炉を冷却するための電源切れは、三十分以内で収束すると電源リスクを過小評価していた。それは、津波を地震に伴う二次的なものの規模として想定外としたからだ。
 加えて、電源リスクの指標を確率論で計算し、必ず発生するリスクを確率で計算し、過小評価してしまった。
 さらには、国の機関である原子力委員会が、各電力会社に対策を委ねたことも事故のマネージメントに失敗した原因の一つだと考えられる。企業にあっては、利益追求のために、余分と判断した対策は、削除するのが至極当然だからである。
 その状況下、スマトラ島沖地震の津波被害を受けて、福島沖での地震と津波の再評価が行われた。その結果、現在ある十メートルの防波堤を超える津波が発生することが予想されたため、それをもとに再検討との指針を出したのが悲しいことに大震災の数日前のことであった。

三、自然との共生
 「この星をこれ以上、こわさないで」と願った声は、世界各国のリーダーが居並ぶ会場に響き渡った。
懇願したのは、セヴァン・カリス=スズキである。
このカナダ在住の日系四世である十二歳の少女は、「どうやって直すのかわからないものをこわすのはやめてください」と、一九九二年、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された国連地球サミットに於いて自然破壊を警鐘するスピーチを行った。
その「リオの伝説のスピーチ」が忘れ去られようとしたときに大震災は起きた。
 自然の生態系(エコシステム)は、小規模の異変であるならば自律的に対応が可能であるが、大規模のものとなると限界があり、その利用と管理は利用する者、即ち人間が適宜に行わなければならない。とくに大震災にともなう原発事故は、自然界への影響が著しい。人が避難した地域では、無人となった街に、主を失ったペットが彷徨い、餓死した家畜が酷い姿を晒していた。
 我々は、生物学でいう「相利共生」、つまり異種の生物が自然の中に於いて、互いを補いながら共生することによって生存出来得ているのである。それは大師の「共利群生」の精神にも通じ、自然を破壊することなく人間と他の生物が共生することが必要であり、原子力による発電が今後も必要かどうか、可能かどうかを国民を挙げて討議しなければならない。

四、国民総幸福量
 中国とインドに挟まれた山岳の国ブータン。封建制から立憲君主制へと移行するのを推進したのが先般、国賓として来日された第五代ワンチュク王の父君である第四代ワンチュク前国王であり、「国民総幸福量」ということを提唱された。
 一九七二年に十六歳で即位されました前国王。その当時、ブータンは鎖国政策で貧困、識字率、乳幼児死亡率などどれをとっても、世界で最悪の水準だった。
即位後、チベット仏教国であるブータンは、国師徳化の下、目指したのが「国民総幸福量」による「世界一幸福な国造り」であった。
 そこで前国王は、国内の道路を整備し、学校を建設し、診療所を開き、ついには国連への加盟を実現したのだ。
 前国王は、物質主義と精神主義とのバランスを計り、ものやお金がありあまってもこころの豊かさは実現できないものと信じ、伝統的な服装や風習を尊重し、それらを護り伝える努力をしてきた。
 それら「幸福な国造り」の柱は、「持続可能な開発」、「環境保護」、「文化の保全と振興」、「優れた統治」の四つである。
 イギリスのレスター大学の研究機関が数年前に世界一七八ヵ国の八万人を対象としてさらに多くの国別データーを使って「幸福度」を調査し、順位付けを行った。
 その調査によると、一位がデンマーク、次いでスイス、オーストリアとなり、なんと第八位にアジアで最高順位の国としてブータンが入っていたのだ。
ワンチュク前国王の絶え間ない努力が世界に認められたのであった。因みに同調査によると、アメリカが二三位、中国が八二位であり日本は、なんと九十位であった。
 これによって日本社会の歪みが顕著であることが理解でき、ブータンのような国家的イノベーションが必要な危機的状況に陥っていると考えられる。

五、人として、僧侶として
 それでは、このような大規模災害時に、人として、僧侶としてどのようなことを行うべきなのであろうか。
 被災地支援、ボランティアのあり方としては、被災家屋の掃除であったり、瓦礫の撤去などといった復旧支援など。また、被災地へ行ける者も限られるので毛布や下着・衣類、生活用品などの支援物資を送るのも重要なことであろう。
 被災地の状況が少し落ち着いてから芸能人によるコンサートや演劇などの心のケアを含めたボランティア活動が報じられた。そして、一市民としてボランティアに参加したり、足湯や傾聴などによって心と身体のケアとなるボランティアを行った僧侶もいた。
 宗団としては、物故者への供養とともに被災者への復興祈念が全国各寺院に呼びかけられもした。
 また、或る禅宗系の青年僧は、日頃、托鉢を行っていた宮古市をはじめに被災地に直接出向き、雪の降る中でも裸足に草鞋履きの出で立ちで、犠牲者の発見された所や仮埋葬地で供養の読経を捧げた。一心不乱、清廉高潔な姿に、心打たれた取材者をして「生きた仏教」と言わしめた。裕福で吝嗇な僧侶が目立ち、世間からとみに忌み嫌われることの多い寺院僧侶。そのような状況の中で大変、意義深い行いであった。
そして、とくに真言に於いては大師の霊験の如く、如法に則って護摩祈祷や修法による加持感応の奇蹟を求めて止まない。
 年々どころか日に日に、葬儀・法事の規模の縮小簡略化の著しい昨今。
核家族や個人化によって人と人との結びつきが稀薄になっていることが大いに影響していることが伺える。そして、その果てには孤独死があり、日本社会の崩壊がある。
 大震災からの再生、そして、行き詰まった現在の日本社会の再生には、「絆」が不可欠であろう。
 真言宗として一致団結して復興祈念の祈祷を執り行うとき。そして、日本の仏教が一致団結して祈りを捧げるとき。
それが今なのだ。

六大新報 平成24年新春増大特集号掲載           

1、日本社会の変容

 イ、これまでの日本

日を追って変貌を遂げる日本社会。その大きな流れは、幕藩体制の崩壊つまり日本の近代化からはじまる。封建制度の限界から世界的潮流であった立憲君主制への移行を明治政府は断行した。それは開国・殖産興業・富国強兵といった西洋化の促進であり近代化への道であった。
 とくに富国強兵は、植民地主義的大航海時代の余韻を残しつつ、産業革命まっただ中、帝国主義へと転換していく欧米列国へ大攘夷論をもって対抗すべく行ったものであったが、第一次大戦を経て昭和に入ると本義から外れた軍事的侵略の手段として「八紘一宇」がプロパガンダとして用いられ、アジア諸国への進出、太平洋戦争へ突入し、敗戦の憂き目に遭い国土は焦土と化した。
 戦後、日本国民の目標は、日本の復興であった。そして、官民を挙げた努力により高度経済成長を成し遂げ、世界第二位の経済大国となった。しかし、甚だしい経済偏重主義。企業利益のための個人の利益の軽視化。そして個人の亡失。そのために社会に歪みが生じてきたのだ。

 ロ、日本社会の歪み

 明治以降の様々な近代化政策及び第二次大戦後の経済偏重主義により、歪んだ社会構造となり家庭に居ることの無くなった親の子どもへの教育不足やコミュニケーション不足。そして、未成熟な個人主義により家制度及び家族の崩壊をもたらした。
そのため殺人事件などの凶悪犯罪の多発。仕事や家庭的事情のために子どもを産めない社会環境。長期に渡る不景気、経営不振による終身雇用制・年功制度の崩壊。それらが原因で起きるうつ病と自死者の増加など。それらを列記してみると、

 ①家制度の崩壊(家族・企業内でのコミュニケーション不足)
 ②凶悪犯罪の発生(社会不安)
 ③少子化(経済成長、社会保障の壊滅)
 ④多くの自死者(経営・雇用・老後への不安)

 また、それらによって都市部での孤独死などの無縁社会化や『葬式は、要らない』に見られる葬儀・法事の簡略化などの檀家制度の終焉ともみられる兆候が顕著になってきている。
そして、十二年連続三万人を超える自死者は、その七十%が男性であり、未遂者はその十倍にも及ぶという。その数値は、ワースト世界第四位であり、原因は前述の様に不況による経営不振の影響によるうつ病などの健康問題や老後への不安。会社内でのリストラやパワーハラスメント、モビング(いやがらせ)。学校内でのいじめや家庭内の引き籠もりなどの様々な問題によって引き起こされている。

2、伝統教団寺院の在り方

 イ、現状

  直葬に顕著な葬式離れや簡略化。法事も同様であり、遺骨を引き取ることを拒否する遺族の存在。とくに都市部での寺離れの顕著化。
また、偏狭な宗派根性、宗祖教と揶揄される日本の仏教。しかし、何故、多くの宗派が成立したかその歴史を顧みると当時の社会や民衆からの必要性が有ったからであり、その為に受け入れられ、現代へ法灯を連綿と点し続ける事が出来ているのである。地域性国民性からもたらされるその多様性は他の国に比べて驚異的な展開をみているのである。
そして、仏教の教団組織は、社会のニーズに応じて存在するものであり、或る特定のニーズに適応して来たのが今の多くの宗派を生む原因であり、多様なニーズを生むには或る程度醸成された社会・文化がそこに存在していたからであり、寧ろ多様化することによって適化してきたのである。
 そこで問題なのは、現代社会において大衆のニーズに応えるべき教団組織となっているかである。
現在、葬式仏教と揶揄される背景には、高額な戒名料や僧侶の素行不良などがある。「戒名料」自体この表現は用いないはずなのに罷り通る現状。

 ロ、伝統教団寺院の「存在意義」の模索
 経営学者であり社会生態学者であったドラッカーは、仏教者である我々に多くの有益な示唆を残している。
 例えば組織。これを教団と言い換える事が出来る。組織は社会の機関であり、ニーズの達成のためにはマネジメントが必要であるとする。マネジメントとは、組織をして成果を上げるための機関・機能の事である。そのマネジメントの課題は、組織特有の目的と使命を見出し、仕事の生産性を上げて働く人を生かし、社会的責任を全うすることであるとする。坂本龍馬が国家の理念の創出として「船中八策」を起草し建白したように伝統教団は寺院教会の「存在意義」のアジョルナメント(現代化)とその再構築が必要であろう。
 伝統教団・宗団は、激変する現代社会にその大きさ故に簡捷に対応することが出来ず、また、明確な存在意義を見出せないでいる。

寺は誰のためにあるのか?

住職か?檀家か?特定の信者のためか?

それは、社会が幸せになるためにある。

社会とは広い意味での我々自身のことである。

また、コトラーの言葉を借りれば、協働と文化とスピリチュアルな場であり、宗教性をもってすれば帰依と祈りの場、布教の拠点であり、公共機関的には文化の発信地であり社会の福祉に関連する施設の提供を行う場所といえよう。
「人をして苦しみから解き放ち、精神の満足即ち幸福をもたらすこと」
この理念を持ち得ず、この理念目的に向かって進むことの出来得ぬ伝統教団寺院は、その存在意義を失い、役割を終え、変革の大きな波に吞まれて行くことだろう。
 伝統教団・宗団は、運営方針即ちビジョンとその刷新、新機軸となるものの創出。そして、それらの運営の管理を如何にして行うかが末寺寺院教会の存続に関わってくる。
 日本の仏教へ自らが問いかけることも必要である。即ち、

①何故、多くの宗派または自宗が成立したのかを歴史的に問うこと。

②何故、現代まで存続し得たのか。その独自性を他国の仏教、他宗と比較すること。

③根幹となる教義を護りつつ、それを踏まえて宗派の刷新、新機軸を見出して行くこと。

寺は何故在るのか?

「それは、人の幸福のために在る」のである。
 
 

2011.1 六大新報新春特集号掲載 

12年連続で自殺者が3万人を超えるという異常事態に陥っている現代社会。
また、無縁社会となって身元不明となる死者が年間3万2千人に達するという。

都会の孤独死・無縁死。
壮年のうつ病と自死。

介護疲れ・介護苦。
生涯未婚者。
非正規雇用。
ひきこもり。
不登校。
少子化。

それらは密接に関係し合っている。

そのような危機的状況の現代社会をどのようにしたら修復もしくは改革していけるのでしょうか?
例えば、「ベーシック・インカム」を実現させることによってそれらを少なくすることが出来るかもしれません。

無縁死は、50歳を過ぎればもう我が身のことです。
NHKスペシャルの「無縁社会 ~“無縁死” 3万2千人の衝撃~」を観て背筋がぞっとされた方。
そろそろ真剣に考える時が来たようです。

皆さんも考え、また、ここで苦しみや悩み、孤独を共有し助け合い勇気づけ合う繫がりをもってみませんか。
そうすれば、もう無縁ではありません。

「一樹の蔭、一河の流れ」というコミュをたてて皆さんと御縁を結ぼうと考えました。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4809914
是非、ご参加下さい。

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「一樹の蔭、一河の流れも他生の縁」
このことばは、圓通述『説法明眼論』を典拠としますが、聖徳太子の語られたお言葉でもあるのです。そして、謡曲などに用いられたり御詠歌『相互供養和讃』にも謡われて古から縁起の有様を端的に表す言葉として語られ謡われてきました。

山肌に雲が立ち登りはじめると
今まで降っていた雨はもう止むことだろう
誰もいない森の
大きな樹の木蔭に雨宿りして
ふと気がつくと
ひとりふたり大樹に寄っている
ああ、これは遙か昔からの繫がりで
今爰に再び合うことが出来たのだろう
人の縁の不思議なことよ

川は天の滴を集め集めて
一河の清流となる
するとどこからともなく
のどの渇きを癒すべく
ひとりふたり水を啜る者がいる
ああ、きっといつのことか
出会っていたことだろう
人の世の不思議な縁よ

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ねえ、何してる?
って、
ひとりごとでいい。
なんでもいいから、
とにかく書いてみましょう。

・今の自分の悩みや苦しみを話す人がいない人。
・心の傷を癒したい人。
・心の支えを求めている人。
・ベーシック・インカムってほんとにいいことなのか?

そんな人達のために呟いたり、語り合えたりする場所であったらいいですね。
どうぞ、お気軽にご参加下さい。

☆twitterがよろしければ
hongai をフォローしてください。

また、
「耳を澄ませば」
http://sns.prtls.jp/whisper/login.html

でもつぶやいて下さい。

インド仏教最高指導者、佐々井秀嶺師の日本一時帰国全64日間に完全密着!!

 
その真実の姿を余すことなくフォトジャーナリスト山本宗補氏が激写した佐々井秀嶺師写真集『日本行脚』が刊行されます。

 

佐々井師直筆あいさつ文、200ヵ所に及ぶ全行脚先のリスト、
佐々井師の本音コメントも多数収録。

 

インドでの活動写真も加えた歴史的資料価値の極めて高い内容となっております。

 

B4 版変形/168 ページ全カラー/ 写真約520 点
撮 影 山本宗補
発行者 大日如来南天鉄塔記念協会

 

※お申し込みは、当サイトから「申し込み書PDF」をダウンロードし、印刷するかまたは申込み書に準拠した様式のものに必要事項を記入して下記当協会事務局までFAXまたは郵送でお申し込み下さい。

 

千部限定ですのでお早めにお申し込み下さい。

 

平成22年3月初旬発行。販売価格6000円(送料別途)。
ご送金には郵便振替または現金書留をご利用ください。

 

申込先:大日如来南天鉄塔記念協会事務局
        〒574-0044  大東市諸福7-2-35  祐照寺内
         FAX 072-875-2178  電話 072-870-9311

 

 ※下記のPDFを右クリックすると「対象をファイルを保存する」が表示されますのでそれをクリックします。

 ※保存した、PDFファイルを表示するにはPDFリーダーが必要です。

 佐々井秀嶺師「日本行脚」写真集申込み書dl版

拙法話が下記のように聴くことが出来ます。
恥ずかしながら御拝聴いただければ幸甚です。
目が腫れているのは法話録音時に泣けてしまったからです。

          記

ラジオNIKKEI 第1   毎週土曜日 8:15~8:30

高野山・大師教会スタジオより 法話4話・全8回シリーズ 

http://www.radionikkei.jp/koyasan/entry-173028.html

第1回 2009年 9月12日 「生かされて歩き遍路」(その1)
第2回 2009年 9月19日 「生かされて歩き遍路」(その2)
第3回 2009年 9月26日 「入れ物が無い 両手で受ける」(その1)
第4回 2009年10月 3日 「入れ物が無い 両手で受ける」(その2)
第5回 2009年10月10日 「杖の物語」(その1)
第6回 2009年10月17日 「杖の物語」(その2)
第7回 2009年10月24日 「幸せになるために」(その1)
第8回 2009年10月31日 「幸せになるために」(その2)

*7月21日収録

 オンデマンドは随時聴くことが出来ます。
「入れ物がない両手で受ける」
本来は「いれものがない両手でうける」となっております。

 はじめに

 急激な経済成長と遂げるインド。しかし、不当な差別を受けて今日の生活に窮する人々が数億人もいる。その困窮民救済のためインド憲法起草者アンベードカル博士の遺志を継ぎ仏教改宗運動を行うこと四十有余年。ついに一億人もの仏教徒をインドに誕生させたのが日本人僧佐々井秀嶺師である。
 三年前、実際にインドでお会いした佐々井師に大変驚かされた。何故なら何十万人もの大行進であった黄金祭パレードに於いて我々の乗るトレーラーの横で一緒に行進する「仏教少年隊」の若者に団扇太鼓の敲き方を指南する姿は、日本山妙法寺で培われたものとはいえインド僧装束の師には違和感を禁じ得なかった。
また、信者にお祓いを請われた際、散杖をバシバシと頭に打ち付ける様は、こちらが戸惑うほどの過激さを感じた。
しかし、日本の常識に纏り付かれた我々とは異なり、今まさに苦悩する人々の救済のために形振り構わず行動を起こす。それこそが「生きた仏教」でると感じた。その思想的行動的源泉は佐々井師が師事するアンベードカル博士であり、彼こそがインド仏教運動の端緒を開いたのだ。

 

  『ブッダとそのダンマ』

 ここでは、佐々井師をより深く知るための方途として、アンベードカル博士の著作でありインド新仏教徒の聖典となっている『ブッダとそのダンマ』に触れてみる。
 本邦に於けるアンベートカル研究は、些か少ないのが現状である。『ブッダとそのダンマ』にしても邦訳の全訳は、山際素男氏のみであり、國學院大學、山崎元一教授の『インド社会と新仏教』にその一部が抄訳されているに過ぎない。また、その山際本にしても「INTRODUCTION」が省かれて、アンベードカル博士のブッダ理解の四つの疑問を知る事が出来ない。そして、その仏陀への四つの疑問として問題定義される事柄がアンベードカル博士独自の仏教観であり重要なのである。
それらはWEB英語原本や山崎本によると

 第一、出家の理由
 第二、四諦説は仏陀本来の教えなのか
 第三、我(霊魂・アートマン)、業、輪廻転生について
 第四、比丘の存在理由

の四つであることがわかる。
第一の疑問に対して博士は、四門出遊によって感得した「四苦」を出家理由とすることを破棄し、部族間の紛争討議の際の責任を取る形で出家したとする博士独自の見解を示す。
 そのため、早くからテーラワーダ仏教の僧侶たちからその点を批難された。佐々井師の場合に於いても、一九八七年インド仏教徒をまとめる「全印度比丘サンガ協会」が計画した全印度比丘総本山建設事業の建設委員長に推薦された際、執拗に反対したのが同協会で大きな勢力を持つ反アンベードカル仏教者であるテーラワーダ圏出身の僧侶達であった。

 

  夢の在りか

 「大日如来南天鉄塔記念協会」の目的は、インド困窮民を希望の在りかへと導き、日本仏教者に夢の在りかを示すことである。
つまり、インド困窮民を不当な差別や貧困から脱却させるために仏教へ改宗させることが生きる希望の在りかへと導く手だてとなり、また、経済偏重社会によって疲弊し職業化して自己を見失った日本仏教者に大乗仏教・密教の聖地、南天鉄塔の遺跡とされるマンサルおよびシルプールなどの遺跡群の発掘調査並びに維持運営を支援することにより宗教者としての自覚を喚起し、新発地の頃皆が抱いた夢の在りかへと誘う手だてとなるからである。
 日本で「寛容の宗教」となった仏教ではあるがインドでは憲法で不可触民制の廃止が制定された今も尚、宗教による不当な差別が存在する。そのような宗教による差別には、対立する宗教をもって立ち向かうことがどうしても必要であった。
 つまり釈尊への回帰としてのテーラワーダ仏教、それもスリランカ独立運動の原動力ともなった「プロテスタント・ブッディズム」と呼ばれる圧力へ抵抗する形態を備え、また、大乗仏教圏出身者として社会参画を積極的に行う「エンゲージド・ブッディズム」のインド的展開を要求され実行したのである。
それこそが既存の仏教の枠組みを解体しその有益な要素を再構築する「仏教の脱構築」であり「生きた仏教」と言えるのである。
 日本仏教者はインドで「仏教の脱構築」に邁進する佐々井師とともに現実に即して民衆教化救済活動に携わり、お互いの長所短所を的確に把握しながら修正・改革を続けていく事が必要である。
佐々井師にとってもインド困窮民救済並びにマンサル仏教遺跡発掘などに我々の人的物質的経済的支援が必要であるし、我々にとっても佐々井師のその力強い僧侶としての生き様が目の前だけの欲望を享受し夢を見失っている日本仏教僧侶には必要なのである。

 

 

中外日報掲載

興味のお有りの方は、参加自由ですので是非、ご参加いただきたい。

■詳細

大日如来南天鉄塔記念協会 決起集会並びに研修会
■開会式 13:00 ~ 13:15
     ・お勤め 三帰依(パーリ)
     ・協会役員挨拶 
■【決起集会】 13:00 ~ 15:25
 1、協会宣言 13:15 ~ 13:45
       宮本光研 「南天鉄塔協会発足」
        協会会長 元真言宗御室派教学部長 岡山長泉寺住職
 2、基調講演  13:45 ~ 14:15
       頼富本宏博士 講題「『南天鉄塔』の歴史的意義」
        種智院大学学長、協会最高顧問
 3、講  演 14:25 ~ 14:55
       高山龍智 仮題「師秀嶺並びに龍樹遺跡について」
         佐々井秀嶺師の弟子であるインド仏教僧侶。
 4、講  演  14:55~15:25
       古川真照 講題「今まさに生きた仏教」
         真言宗御室派本山布教師 祐照寺住職 協会事務局長
■【研修会】
 5、紹  介 15:35 ~ 15:50
         「AIM Japanの紹介」
         AIM Japan スシャウト氏(予定)
 6、座 談 会 15:50 ~ 16:20
       「佐々井秀嶺師に対して我々ができること」
            座長(司会進行)会長
 7、講 読 16:20 ~ 16:50
       講師 瀬尾光昌
             アンベードカル博士著『ブッダとそのダンマ』を読む  
         高野山真言宗本山布教師 香川圓満寺住職 協会事務総長
■閉会式   16:50~17:00
  お勤め  
  役員閉会の挨拶 

 

 

 弘法大師の功績と足跡とをもって祖風と為すに、四国遍路、入唐求法、立教開宗、済世利人(綜藝種智院創設、満濃池の修築などの社会事業)、寺院運営管理、弟子の育成、高野山入定などが時系列的に挙げられよう。それらをまとめるならば「済世利人」に尽き、大師の末徒として「済世利人の実践」と「大師への報恩」こそが祖風の宣揚に他ならない。

 一、済世利人の実践
 イ、自殺者の救済
 経済偏重によって心と心の繋がりを大切にする社会が崩壊した日本では、十年連続して自殺者が年間三万人を越えるといった非常事態に陥っている。
地方にあっても葬儀の導師を執り行う者の一人としてその実感は確かにある。
大師の密厳仏国土建設の御誓願とはかけ離れた当に生き地獄が現実となってしまっている。
 平成十九年五月に「こころの健康(自殺対策)に関する世論調査」と称する全国的な調査が内閣府によって行われ、その結果、自殺への誤解や偏見が未だに多い事が浮き彫りになった。
例えば、「自殺を口にする者は自殺をしない」や「自殺は何の前触れもなく突然起こる」といった類である。
さらには、職場での対策の低さや「自殺対策基本法」、「こころの健康」窓口が各自治体の保健所にあることの周知が立ち後れていることが露呈された。そして、自殺未遂者はこの何倍にものぼる事が推測できるのだという。
 このような極めて深刻な社会状況にあって一人でも尊い命を積極的な行動によって救済することが我々僧侶の緊急な使命となっている。
 高野山のインターネットオンデマンド法話はアクセスが多くそのサイトに専門法話を載せたり、専門スタッフにより「こころの相談所」を常設して対処する。そして、各寺院に於いては、積極的に悩みを抱える人々と面談し、ご祈祷を請ける際の接心、つまり長年の檀信徒との応対のノウハウを生かして相談に適宜応じるのが最も現実的であり仏教的でよろしいのではないか。重要な事は、心のSOS信号を発している者に、四摂事つまり、布施・愛語・利行・同事を実践し、そのことによって疲弊した心を癒し、社会復帰を支援扶助することであり、そして、その環境を整備することが急務なのである。
 
 ロ、直葬への対処
 昨今、直葬の急激な増加が顕著である。
直葬の捉え方は、葬儀社によって様々であり、密葬と捉える葬儀社もあれば、ダイレクト・クリメーションといってアメリカで一九七〇年代から増えてきた直接火葬の日本版と考えているところがあるが、ともに葬儀の簡素化がその実態である。
そして、全葬儀における直葬の占める割合は、東京で約二割、一説には三割近くに及び、全国平均では一割未満といった状況である。
理由としては、経済的に不可能であったり、高齢介護での死者への畏敬の念が希薄になったこと。宗教的儀礼を不要と考え葬儀を執り行わなかったり、後に故郷で葬儀することなどが挙げられる。
それは、僧侶不要の現実と盛大になりすぎた葬儀への歪みでもあるがどちらかというと仏教からの昇華と捉えるより、人間関係の希薄さにより家族、社会の崩壊が起こり文化的退化を示唆しているものと思われる。
また、直葬を「ちょくそう」と葬儀社は読むが仏教者としては慣習により「じきそう」と読むべきであろう。このことも葬儀の意義及び執行のイニシャティブが葬儀社に移行してしまっていることを露呈している。このままでは葬儀の仏教的必要性が希薄になって、ただの葬送儀礼に過ぎなくなってしまう。
 迷妄に纏われた宗教は必要ないが仏教・仏道は遙か悠久の昔からの人類の智恵の結晶であり、人倫及び善的行為の源泉であり、人の生きる道であるから大切に護り育んで行かなければならない。
さらに密教的葬儀の深秘釈は、衆生済度を実現するための仏神との交渉であり、可視の世界を越え未だ科学によって実証解明出来得ていない不可視の世界との交誼なのであるからだ。
 我々僧侶は、現実のその様な状況を受け入れ、簡潔で質素であっても最善である葬儀次第の再構築が必要である。
何故なら『綜藝種智院式并序』にあるように社会の荒廃はその時代の者の責任であり、人々を導く教えが崩壊するとき社会も瓦解して行くからなのである。

 二、大師への報恩
 我々真言末徒は大師により様々なご恩を受けて生かされている。そして、それらに報いるよう努めるのが人としての道である。そのために大師の原点である四国遍路道を世界遺産へ登録させ、大師信仰に生き、または、大師の息吹を今に生かしている者を顕彰することこそ大師への報恩行に他ならないと考える。
 イ、四国霊場
 大師ご修行の聖地四国霊場とその遍路道の保全・整備及び顕彰を行う。そのひとつとして世界遺産への登録運動を全真言宗規模で展開する。
大師修行の遍路道は、大師信仰の生きた場であり、それを支援する「お接待」や「善根宿」などといった独特の文化「遍路文化」が息づいている。それを整備保存し世界の人々に周知せしめることこそ大師への報恩になると考える。
また、全国に散らばる大師の足跡、八十八カ所霊場を協力して護り整備して全国の人々が時間的距離的に適宜に選択して遍路が出来る環境を整備し、大師信仰拡張に尽力すべきである。
 昨年八月下旬、約一週間に渡り知多、篠栗、小豆島の八十八カ所霊場合同のお砂踏みが愛知県、中部国際空港内センターガーデンで開催され、隣接するセントレアに於いても講演会やサミットが催された。会場は連日参拝の人々で溢れ、五時間待ちの行列が出来るほどで会期を通じて約二万一千人の来場を得て盛況であった。この背景には知多霊場の日頃からの霊場発展への尽力と、大都市圏を背景に人の集まりやすい環境での開催、さらには霊場間での利害を超えた協力があってしてはじめて実現したもので大師信仰の現代的宣揚を確信した。

 ロ、大師信仰功労者の顕彰
 まず、国内に於いては、臨済宗妙心寺派管長を務められた故山本玄峰老師が挙げられよう。老師は、和歌山の湯の峰でお生まれになり、若くして眼病を患い、その平癒のために家を捨て、妻と別れ、命を懸けて四国遍路を裸足で巡礼された。そして、縁あって四国霊場第三十三番雪渓寺の徒弟となり修行を積まれ法嗣となるも全国修行の行脚に出られ、三島の白隠禅師ゆかりの龍沢寺を復興された。その後、老師の名声は各界に知れ渡り多くの政治家や財界人の心の師となった。
終戦間際、海軍出身で侍従長を歴任した鈴木貫太郎枢密院議長から相談を受け首相就任を薦めたという。
昭和天皇の玉音放送で「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」の有名な詔書のお言葉は、老師が鈴木議長に語った「日本は、相撲に喩えるならば大関じゃ。大関は負けるときも潔いものだ。耐え難きを耐え忍び難いきを忍び・・・」という助言から使われたという。
老師九十四歳の時、流感に罹られ、危篤状態となるが懸命の治療により快方に向かわれた。このとき老師は病床で「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛」とお唱えされていたと後に側近の弟子の方が述懐されている。若き折、眼病平癒を願って四国を遍路された老師。歳老いても尚大師を慕い御宝号をお唱えされたのである。翌年、全快された老師はお礼参りに九十五歳で十七度目の四国遍路をされた。宗派を越え、まさに大師信仰に生き、四国遍路に生きた生涯と言えよう。
 次に国外に於いては、インド、ナグプールで活躍されている佐々井秀嶺師が挙げられよう。
師は、龍樹菩薩の夢告により、インド中央部に位置するナグプールに於いてアンベードカル博士の遺志を継ぎ、それから四十年間、ヒンドゥー教徒であるがために不当な差別を受けている人々をその苦境から脱却させるべく仏教徒への改宗を積極的に行い、今では一億人以上にもなった仏教徒の指導者としてインド困窮民の救済に現在でもあたっている。
アンベードカル博士とは、現インド憲法の起草者の一人であり、出自のカーストによって数多くの不当な差別を受けたその体験から、ヒンドゥー教徒から仏教徒へ約三〇万人の同志と共に改宗した法律学者である。博士は、仏教を実践重視の宗教でありブッダがその実践方法を具体的に示したことを賞賛した。それは三つの原理つまり理性、慈悲、平等であり、その原理に従ってインドに差別のない正義の国を建設をするために尽力された。
その博士の遺志を嗣いだ佐々井師は、真言宗智山派大本山高尾山薬王院で正式に出家得度。その後、薬王院留学僧としてタイへ留学。また思うところあってインドへ渡り、日本山妙法寺にて活動し、龍樹菩薩の夢告を受け、中部インドナグプールに移り住み、それから四十年間、七十三歳となられた今も一億人もの仏教改宗者の指導者として、そして、今も尚不当な差別を受け、経済的にも困窮した人々の救済に尽力されているのである。
特筆すべきは、ブッダガヤの大菩提寺管理権奪還闘争を興し、その成果として管理委員会メンバーの一人に仏教徒代表が加わる事が出来、さらには自身が人権擁護のためインド政府内に設置されている少数者委員会五名の内のひとりに仏教徒代表として任命されたことだ。
また、佐々井師は、大師の『教王経開題』にある南天鉄塔中より誦出し金剛薩埵から龍猛(龍樹菩薩)が相承した両部の大経のその相承の鉄塔がナグプール近郊、マンセル遺跡であるとし、遺跡の発掘調査を進めている。
 我々は、インド困窮民の救済に全生命を以て尽くし、大経相承の聖地南天鉄塔と推定される遺跡を調査証明し、その指導者である佐々井秀嶺師を顕彰する事が広義での大師報恩行となると信じる。曹洞宗によってすでに褒賞されている師にその僧侶として発心の宗、智山派もしくは各山会で特別表彰をもって顕彰し、その労に報いるべきであると考える。

平成21年六大新報 新年号掲載

 小豆島の西部、前島佛崎(保土喜崎)の突先、尾崎放哉が子供達と小舟で戯れたその沖に浮かぶ弁天島と中余島、小余島と大余島。引き潮のときそれらの小島が砂州で繋がるのです。

 

 羽衣の道

 先年、すぐ近くにあるホテルの元オーナーが「エンジェルロード」(天使の散歩道)と命名して結構全国的にも知られるようになりました。
 今では常時、陸と繋がっている弁天島。そこには祠があり龍神宮と住吉神宮がお祀りされています。

 

龍神宮と住吉神宮
 住吉さまは海の神さま。龍神さまは、仏教的には「ナーガ」と呼ばれ、蛇が神格化した尊であり、インド各地に今でも多くの伝説とともに「ナーガ」の付く地名が残っております。一方、惟神(かんながら)では池や河の神格化された尊などさまざまな流伝があります。

弁天島の頂上には小さな祠がお祀りされております。

 

弁天さま?

その祠が弁天さまをお祀りしているのでしょうか。それとも竜宮城伝説の竜女さまが弁天さまと習合しておられるのか今では分かりません。
 とにかく弁天さまは元来インドにおいて河や海の氾濫を鎮める神さま、「サラスヴァティ」が仏教の神として習合し、遙か遠く離れた本邦においても、河や海の被害を受ける土地の護り神さまとして多くお祀りされております。
 世界遺産として国内外からの参詣客が多く参られる吉野山と高野山の西麓を流れる峻険な「吉野川」、高野山の麓を流れるときには「紀の川」と名前が変わります。
日本でも有数な降雨量を誇る大台ヶ原を源として流れる清流は、次第に水量を増し、吉野山の麓、五條市で蛇行を幾度も重ね、大雨のときに氾濫を繰り返し、多くの民を苦しめました。そこで古来より河を鎮める弁天さまがお祀りされ、人々を災害から守って来たのです。その土地では、後に高野山の流れを汲むお寺の住職夫婦が弁天さまの天啓を受けて一宗を開宗したほどでもあります。
 瀬戸内海にぽっかり浮かぶ小豆島。その周囲に多くの弁天さまがお祀りされております。やはり、古代から島の住民は海の災害に苦しみそれを鎮めるためにお祀りしているのです。
 先の弁天島は、江戸後期に編纂された『小豆嶋名所圖會』には「経ヵ嶋」と記載され、簡潔に「名義詳ならず」と出て、「経ヵ嶋」の辺りに「大與嶋」「中與嶋」があるとされております。そこには続いて、柳浦に「江洞辯財天社」があり遍路六十一番札所であった事が記されております。現在は第六十番「江洞窟」となっており、相模は江ノ島の弁財天さまを江戸時代に分社して当地でお祀りしているものです。
 小豆島霊場で弁財天を本尊としてお祀りしているのは、ここだけであり海に面した自然の洞窟に弁天さまをお祀りしているのですが、平成十六年、台風に誘発された高潮被害で、他の地区が大変な被害を被っているのにこの地区だけがほとんど高潮の被害を受けていないのは不思議でありました。きっと地元の参拝者の方々の日頃からの篤い祈りが弁天さまに届いていたのでしょう。

 羽衣の道

 
 弁天さまが着られている羽衣が島と島の間に懸けられ、その儚い道を様々な思いを込めて渡っていかれる姿。
弁天さまは、梵天さまのお妃さまです。ですからきっと日に二度、おめしの羽衣を道として大余島へ渡してお逢いに行かれるのでしょう。
金庸作「新鵰侠侶」の小龍女が幼い楊過を重陽宮まで救いに来るその姿。まさに羽衣を小径の如く歩まれて天女のように現れる姿がその弁天さまの華麗なお姿に見えてしかたありません。

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