6 月 10 2009
仏教の脱構築 ー夢の在りかを求めてー
はじめに
急激な経済成長と遂げるインド。しかし、不当な差別を受けて今日の生活に窮する人々が数億人もいる。その困窮民救済のためインド憲法起草者アンベードカル博士の遺志を継ぎ仏教改宗運動を行うこと四十有余年。ついに一億人もの仏教徒をインドに誕生させたのが日本人僧佐々井秀嶺師である。
三年前、実際にインドでお会いした佐々井師に大変驚かされた。何故なら何十万人もの大行進であった黄金祭パレードに於いて我々の乗るトレーラーの横で一緒に行進する「仏教少年隊」の若者に団扇太鼓の敲き方を指南する姿は、日本山妙法寺で培われたものとはいえインド僧装束の師には違和感を禁じ得なかった。
また、信者にお祓いを請われた際、散杖をバシバシと頭に打ち付ける様は、こちらが戸惑うほどの過激さを感じた。
しかし、日本の常識に纏り付かれた我々とは異なり、今まさに苦悩する人々の救済のために形振り構わず行動を起こす。それこそが「生きた仏教」でると感じた。その思想的行動的源泉は佐々井師が師事するアンベードカル博士であり、彼こそがインド仏教運動の端緒を開いたのだ。
『ブッダとそのダンマ』
ここでは、佐々井師をより深く知るための方途として、アンベードカル博士の著作でありインド新仏教徒の聖典となっている『ブッダとそのダンマ』に触れてみる。
本邦に於けるアンベートカル研究は、些か少ないのが現状である。『ブッダとそのダンマ』にしても邦訳の全訳は、山際素男氏のみであり、國學院大學、山崎元一教授の『インド社会と新仏教』にその一部が抄訳されているに過ぎない。また、その山際本にしても「INTRODUCTION」が省かれて、アンベードカル博士のブッダ理解の四つの疑問を知る事が出来ない。そして、その仏陀への四つの疑問として問題定義される事柄がアンベードカル博士独自の仏教観であり重要なのである。
それらはWEB英語原本や山崎本によると
第一、出家の理由
第二、四諦説は仏陀本来の教えなのか
第三、我(霊魂・アートマン)、業、輪廻転生について
第四、比丘の存在理由
の四つであることがわかる。
第一の疑問に対して博士は、四門出遊によって感得した「四苦」を出家理由とすることを破棄し、部族間の紛争討議の際の責任を取る形で出家したとする博士独自の見解を示す。
そのため、早くからテーラワーダ仏教の僧侶たちからその点を批難された。佐々井師の場合に於いても、一九八七年インド仏教徒をまとめる「全印度比丘サンガ協会」が計画した全印度比丘総本山建設事業の建設委員長に推薦された際、執拗に反対したのが同協会で大きな勢力を持つ反アンベードカル仏教者であるテーラワーダ圏出身の僧侶達であった。
夢の在りか
「大日如来南天鉄塔記念協会」の目的は、インド困窮民を希望の在りかへと導き、日本仏教者に夢の在りかを示すことである。
つまり、インド困窮民を不当な差別や貧困から脱却させるために仏教へ改宗させることが生きる希望の在りかへと導く手だてとなり、また、経済偏重社会によって疲弊し職業化して自己を見失った日本仏教者に大乗仏教・密教の聖地、南天鉄塔の遺跡とされるマンサルおよびシルプールなどの遺跡群の発掘調査並びに維持運営を支援することにより宗教者としての自覚を喚起し、新発地の頃皆が抱いた夢の在りかへと誘う手だてとなるからである。
日本で「寛容の宗教」となった仏教ではあるがインドでは憲法で不可触民制の廃止が制定された今も尚、宗教による不当な差別が存在する。そのような宗教による差別には、対立する宗教をもって立ち向かうことがどうしても必要であった。
つまり釈尊への回帰としてのテーラワーダ仏教、それもスリランカ独立運動の原動力ともなった「プロテスタント・ブッディズム」と呼ばれる圧力へ抵抗する形態を備え、また、大乗仏教圏出身者として社会参画を積極的に行う「エンゲージド・ブッディズム」のインド的展開を要求され実行したのである。
それこそが既存の仏教の枠組みを解体しその有益な要素を再構築する「仏教の脱構築」であり「生きた仏教」と言えるのである。
日本仏教者はインドで「仏教の脱構築」に邁進する佐々井師とともに現実に即して民衆教化救済活動に携わり、お互いの長所短所を的確に把握しながら修正・改革を続けていく事が必要である。
佐々井師にとってもインド困窮民救済並びにマンサル仏教遺跡発掘などに我々の人的物質的経済的支援が必要であるし、我々にとっても佐々井師のその力強い僧侶としての生き様が目の前だけの欲望を享受し夢を見失っている日本仏教僧侶には必要なのである。
中外日報掲載









