6 月 10 2009

仏教の脱構築  ー夢の在りかを求めてー

Published by hrdaya under 中外日報, 言霊綴り

 はじめに

 急激な経済成長と遂げるインド。しかし、不当な差別を受けて今日の生活に窮する人々が数億人もいる。その困窮民救済のためインド憲法起草者アンベードカル博士の遺志を継ぎ仏教改宗運動を行うこと四十有余年。ついに一億人もの仏教徒をインドに誕生させたのが日本人僧佐々井秀嶺師である。
 三年前、実際にインドでお会いした佐々井師に大変驚かされた。何故なら何十万人もの大行進であった黄金祭パレードに於いて我々の乗るトレーラーの横で一緒に行進する「仏教少年隊」の若者に団扇太鼓の敲き方を指南する姿は、日本山妙法寺で培われたものとはいえインド僧装束の師には違和感を禁じ得なかった。
また、信者にお祓いを請われた際、散杖をバシバシと頭に打ち付ける様は、こちらが戸惑うほどの過激さを感じた。
しかし、日本の常識に纏り付かれた我々とは異なり、今まさに苦悩する人々の救済のために形振り構わず行動を起こす。それこそが「生きた仏教」でると感じた。その思想的行動的源泉は佐々井師が師事するアンベードカル博士であり、彼こそがインド仏教運動の端緒を開いたのだ。

 

  『ブッダとそのダンマ』

 ここでは、佐々井師をより深く知るための方途として、アンベードカル博士の著作でありインド新仏教徒の聖典となっている『ブッダとそのダンマ』に触れてみる。
 本邦に於けるアンベートカル研究は、些か少ないのが現状である。『ブッダとそのダンマ』にしても邦訳の全訳は、山際素男氏のみであり、國學院大學、山崎元一教授の『インド社会と新仏教』にその一部が抄訳されているに過ぎない。また、その山際本にしても「INTRODUCTION」が省かれて、アンベードカル博士のブッダ理解の四つの疑問を知る事が出来ない。そして、その仏陀への四つの疑問として問題定義される事柄がアンベードカル博士独自の仏教観であり重要なのである。
それらはWEB英語原本や山崎本によると

 第一、出家の理由
 第二、四諦説は仏陀本来の教えなのか
 第三、我(霊魂・アートマン)、業、輪廻転生について
 第四、比丘の存在理由

の四つであることがわかる。
第一の疑問に対して博士は、四門出遊によって感得した「四苦」を出家理由とすることを破棄し、部族間の紛争討議の際の責任を取る形で出家したとする博士独自の見解を示す。
 そのため、早くからテーラワーダ仏教の僧侶たちからその点を批難された。佐々井師の場合に於いても、一九八七年インド仏教徒をまとめる「全印度比丘サンガ協会」が計画した全印度比丘総本山建設事業の建設委員長に推薦された際、執拗に反対したのが同協会で大きな勢力を持つ反アンベードカル仏教者であるテーラワーダ圏出身の僧侶達であった。

 

  夢の在りか

 「大日如来南天鉄塔記念協会」の目的は、インド困窮民を希望の在りかへと導き、日本仏教者に夢の在りかを示すことである。
つまり、インド困窮民を不当な差別や貧困から脱却させるために仏教へ改宗させることが生きる希望の在りかへと導く手だてとなり、また、経済偏重社会によって疲弊し職業化して自己を見失った日本仏教者に大乗仏教・密教の聖地、南天鉄塔の遺跡とされるマンサルおよびシルプールなどの遺跡群の発掘調査並びに維持運営を支援することにより宗教者としての自覚を喚起し、新発地の頃皆が抱いた夢の在りかへと誘う手だてとなるからである。
 日本で「寛容の宗教」となった仏教ではあるがインドでは憲法で不可触民制の廃止が制定された今も尚、宗教による不当な差別が存在する。そのような宗教による差別には、対立する宗教をもって立ち向かうことがどうしても必要であった。
 つまり釈尊への回帰としてのテーラワーダ仏教、それもスリランカ独立運動の原動力ともなった「プロテスタント・ブッディズム」と呼ばれる圧力へ抵抗する形態を備え、また、大乗仏教圏出身者として社会参画を積極的に行う「エンゲージド・ブッディズム」のインド的展開を要求され実行したのである。
それこそが既存の仏教の枠組みを解体しその有益な要素を再構築する「仏教の脱構築」であり「生きた仏教」と言えるのである。
 日本仏教者はインドで「仏教の脱構築」に邁進する佐々井師とともに現実に即して民衆教化救済活動に携わり、お互いの長所短所を的確に把握しながら修正・改革を続けていく事が必要である。
佐々井師にとってもインド困窮民救済並びにマンサル仏教遺跡発掘などに我々の人的物質的経済的支援が必要であるし、我々にとっても佐々井師のその力強い僧侶としての生き様が目の前だけの欲望を享受し夢を見失っている日本仏教僧侶には必要なのである。

 

 

中外日報掲載

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2 月 09 2009

生きることに苦しむ人のために

興味のお有りの方は、参加自由ですので是非、ご参加いただきたい。

■詳細

大日如来南天鉄塔記念協会 決起集会並びに研修会
■開会式 13:00 ~ 13:15
     ・お勤め 三帰依(パーリ)
     ・協会役員挨拶 
■【決起集会】 13:00 ~ 15:25
 1、協会宣言 13:15 ~ 13:45
       宮本光研 「南天鉄塔協会発足」
        協会会長 元真言宗御室派教学部長 岡山長泉寺住職
 2、基調講演  13:45 ~ 14:15
       頼富本宏博士 講題「『南天鉄塔』の歴史的意義」
        種智院大学学長、協会最高顧問
 3、講  演 14:25 ~ 14:55
       高山龍智 仮題「師秀嶺並びに龍樹遺跡について」
         佐々井秀嶺師の弟子であるインド仏教僧侶。
 4、講  演  14:55~15:25
       古川真照 講題「今まさに生きた仏教」
         真言宗御室派本山布教師 祐照寺住職 協会事務局長
■【研修会】
 5、紹  介 15:35 ~ 15:50
         「AIM Japanの紹介」
         AIM Japan スシャウト氏(予定)
 6、座 談 会 15:50 ~ 16:20
       「佐々井秀嶺師に対して我々ができること」
            座長(司会進行)会長
 7、講 読 16:20 ~ 16:50
       講師 瀬尾光昌
             アンベードカル博士著『ブッダとそのダンマ』を読む  
         高野山真言宗本山布教師 香川圓満寺住職 協会事務総長
■閉会式   16:50~17:00
  お勤め  
  役員閉会の挨拶 

 

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1 月 07 2009

祖風宣揚考

Published by hrdaya under 六大新報, 言霊綴り

 

 弘法大師の功績と足跡とをもって祖風と為すに、四国遍路、入唐求法、立教開宗、済世利人(綜藝種智院創設、満濃池の修築などの社会事業)、寺院運営管理、弟子の育成、高野山入定などが時系列的に挙げられよう。それらをまとめるならば「済世利人」に尽き、大師の末徒として「済世利人の実践」と「大師への報恩」こそが祖風の宣揚に他ならない。

 一、済世利人の実践
 イ、自殺者の救済
 経済偏重によって心と心の繋がりを大切にする社会が崩壊した日本では、十年連続して自殺者が年間三万人を越えるといった非常事態に陥っている。
地方にあっても葬儀の導師を執り行う者の一人としてその実感は確かにある。
大師の密厳仏国土建設の御誓願とはかけ離れた当に生き地獄が現実となってしまっている。
 平成十九年五月に「こころの健康(自殺対策)に関する世論調査」と称する全国的な調査が内閣府によって行われ、その結果、自殺への誤解や偏見が未だに多い事が浮き彫りになった。
例えば、「自殺を口にする者は自殺をしない」や「自殺は何の前触れもなく突然起こる」といった類である。
さらには、職場での対策の低さや「自殺対策基本法」、「こころの健康」窓口が各自治体の保健所にあることの周知が立ち後れていることが露呈された。そして、自殺未遂者はこの何倍にものぼる事が推測できるのだという。
 このような極めて深刻な社会状況にあって一人でも尊い命を積極的な行動によって救済することが我々僧侶の緊急な使命となっている。
 高野山のインターネットオンデマンド法話はアクセスが多くそのサイトに専門法話を載せたり、専門スタッフにより「こころの相談所」を常設して対処する。そして、各寺院に於いては、積極的に悩みを抱える人々と面談し、ご祈祷を請ける際の接心、つまり長年の檀信徒との応対のノウハウを生かして相談に適宜応じるのが最も現実的であり仏教的でよろしいのではないか。重要な事は、心のSOS信号を発している者に、四摂事つまり、布施・愛語・利行・同事を実践し、そのことによって疲弊した心を癒し、社会復帰を支援扶助することであり、そして、その環境を整備することが急務なのである。
 
 ロ、直葬への対処
 昨今、直葬の急激な増加が顕著である。
直葬の捉え方は、葬儀社によって様々であり、密葬と捉える葬儀社もあれば、ダイレクト・クリメーションといってアメリカで一九七〇年代から増えてきた直接火葬の日本版と考えているところがあるが、ともに葬儀の簡素化がその実態である。
そして、全葬儀における直葬の占める割合は、東京で約二割、一説には三割近くに及び、全国平均では一割未満といった状況である。
理由としては、経済的に不可能であったり、高齢介護での死者への畏敬の念が希薄になったこと。宗教的儀礼を不要と考え葬儀を執り行わなかったり、後に故郷で葬儀することなどが挙げられる。
それは、僧侶不要の現実と盛大になりすぎた葬儀への歪みでもあるがどちらかというと仏教からの昇華と捉えるより、人間関係の希薄さにより家族、社会の崩壊が起こり文化的退化を示唆しているものと思われる。
また、直葬を「ちょくそう」と葬儀社は読むが仏教者としては慣習により「じきそう」と読むべきであろう。このことも葬儀の意義及び執行のイニシャティブが葬儀社に移行してしまっていることを露呈している。このままでは葬儀の仏教的必要性が希薄になって、ただの葬送儀礼に過ぎなくなってしまう。
 迷妄に纏われた宗教は必要ないが仏教・仏道は遙か悠久の昔からの人類の智恵の結晶であり、人倫及び善的行為の源泉であり、人の生きる道であるから大切に護り育んで行かなければならない。
さらに密教的葬儀の深秘釈は、衆生済度を実現するための仏神との交渉であり、可視の世界を越え未だ科学によって実証解明出来得ていない不可視の世界との交誼なのであるからだ。
 我々僧侶は、現実のその様な状況を受け入れ、簡潔で質素であっても最善である葬儀次第の再構築が必要である。
何故なら『綜藝種智院式并序』にあるように社会の荒廃はその時代の者の責任であり、人々を導く教えが崩壊するとき社会も瓦解して行くからなのである。

 二、大師への報恩
 我々真言末徒は大師により様々なご恩を受けて生かされている。そして、それらに報いるよう努めるのが人としての道である。そのために大師の原点である四国遍路道を世界遺産へ登録させ、大師信仰に生き、または、大師の息吹を今に生かしている者を顕彰することこそ大師への報恩行に他ならないと考える。
 イ、四国霊場
 大師ご修行の聖地四国霊場とその遍路道の保全・整備及び顕彰を行う。そのひとつとして世界遺産への登録運動を全真言宗規模で展開する。
大師修行の遍路道は、大師信仰の生きた場であり、それを支援する「お接待」や「善根宿」などといった独特の文化「遍路文化」が息づいている。それを整備保存し世界の人々に周知せしめることこそ大師への報恩になると考える。
また、全国に散らばる大師の足跡、八十八カ所霊場を協力して護り整備して全国の人々が時間的距離的に適宜に選択して遍路が出来る環境を整備し、大師信仰拡張に尽力すべきである。
 昨年八月下旬、約一週間に渡り知多、篠栗、小豆島の八十八カ所霊場合同のお砂踏みが愛知県、中部国際空港内センターガーデンで開催され、隣接するセントレアに於いても講演会やサミットが催された。会場は連日参拝の人々で溢れ、五時間待ちの行列が出来るほどで会期を通じて約二万一千人の来場を得て盛況であった。この背景には知多霊場の日頃からの霊場発展への尽力と、大都市圏を背景に人の集まりやすい環境での開催、さらには霊場間での利害を超えた協力があってしてはじめて実現したもので大師信仰の現代的宣揚を確信した。

 ロ、大師信仰功労者の顕彰
 まず、国内に於いては、臨済宗妙心寺派管長を務められた故山本玄峰老師が挙げられよう。老師は、和歌山の湯の峰でお生まれになり、若くして眼病を患い、その平癒のために家を捨て、妻と別れ、命を懸けて四国遍路を裸足で巡礼された。そして、縁あって四国霊場第三十三番雪渓寺の徒弟となり修行を積まれ法嗣となるも全国修行の行脚に出られ、三島の白隠禅師ゆかりの龍沢寺を復興された。その後、老師の名声は各界に知れ渡り多くの政治家や財界人の心の師となった。
終戦間際、海軍出身で侍従長を歴任した鈴木貫太郎枢密院議長から相談を受け首相就任を薦めたという。
昭和天皇の玉音放送で「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」の有名な詔書のお言葉は、老師が鈴木議長に語った「日本は、相撲に喩えるならば大関じゃ。大関は負けるときも潔いものだ。耐え難きを耐え忍び難いきを忍び・・・」という助言から使われたという。
老師九十四歳の時、流感に罹られ、危篤状態となるが懸命の治療により快方に向かわれた。このとき老師は病床で「南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛」とお唱えされていたと後に側近の弟子の方が述懐されている。若き折、眼病平癒を願って四国を遍路された老師。歳老いても尚大師を慕い御宝号をお唱えされたのである。翌年、全快された老師はお礼参りに九十五歳で十七度目の四国遍路をされた。宗派を越え、まさに大師信仰に生き、四国遍路に生きた生涯と言えよう。
 次に国外に於いては、インド、ナグプールで活躍されている佐々井秀嶺師が挙げられよう。
師は、龍樹菩薩の夢告により、インド中央部に位置するナグプールに於いてアンベードカル博士の遺志を継ぎ、それから四十年間、ヒンドゥー教徒であるがために不当な差別を受けている人々をその苦境から脱却させるべく仏教徒への改宗を積極的に行い、今では一億人以上にもなった仏教徒の指導者としてインド困窮民の救済に現在でもあたっている。
アンベードカル博士とは、現インド憲法の起草者の一人であり、出自のカーストによって数多くの不当な差別を受けたその体験から、ヒンドゥー教徒から仏教徒へ約三〇万人の同志と共に改宗した法律学者である。博士は、仏教を実践重視の宗教でありブッダがその実践方法を具体的に示したことを賞賛した。それは三つの原理つまり理性、慈悲、平等であり、その原理に従ってインドに差別のない正義の国を建設をするために尽力された。
その博士の遺志を嗣いだ佐々井師は、真言宗智山派大本山高尾山薬王院で正式に出家得度。その後、薬王院留学僧としてタイへ留学。また思うところあってインドへ渡り、日本山妙法寺にて活動し、龍樹菩薩の夢告を受け、中部インドナグプールに移り住み、それから四十年間、七十三歳となられた今も一億人もの仏教改宗者の指導者として、そして、今も尚不当な差別を受け、経済的にも困窮した人々の救済に尽力されているのである。
特筆すべきは、ブッダガヤの大菩提寺管理権奪還闘争を興し、その成果として管理委員会メンバーの一人に仏教徒代表が加わる事が出来、さらには自身が人権擁護のためインド政府内に設置されている少数者委員会五名の内のひとりに仏教徒代表として任命されたことだ。
また、佐々井師は、大師の『教王経開題』にある南天鉄塔中より誦出し金剛薩埵から龍猛(龍樹菩薩)が相承した両部の大経のその相承の鉄塔がナグプール近郊、マンセル遺跡であるとし、遺跡の発掘調査を進めている。
 我々は、インド困窮民の救済に全生命を以て尽くし、大経相承の聖地南天鉄塔と推定される遺跡を調査証明し、その指導者である佐々井秀嶺師を顕彰する事が広義での大師報恩行となると信じる。曹洞宗によってすでに褒賞されている師にその僧侶として発心の宗、智山派もしくは各山会で特別表彰をもって顕彰し、その労に報いるべきであると考える。

平成21年六大新報 新年号掲載

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7 月 12 2008

羽衣の道(はごろものみち)

Published by hrdaya under つれづれに, 言霊綴り

 小豆島の西部、前島佛崎(保土喜崎)の突先、尾崎放哉が子供達と小舟で戯れたその沖に浮かぶ弁天島と中余島、小余島と大余島。引き潮のときそれらの小島が砂州で繋がるのです。

 

 羽衣の道

 先年、すぐ近くにあるホテルの元オーナーが「エンジェルロード」(天使の散歩道)と命名して結構全国的にも知られるようになりました。
 今では常時、陸と繋がっている弁天島。そこには祠があり龍神宮と住吉神宮がお祀りされています。

 

龍神宮と住吉神宮
 住吉さまは海の神さま。龍神さまは、仏教的には「ナーガ」と呼ばれ、蛇が神格化した尊であり、インド各地に今でも多くの伝説とともに「ナーガ」の付く地名が残っております。一方、惟神(かんながら)では池や河の神格化された尊などさまざまな流伝があります。

弁天島の頂上には小さな祠がお祀りされております。

 

弁天さま?

その祠が弁天さまをお祀りしているのでしょうか。それとも竜宮城伝説の竜女さまが弁天さまと習合しておられるのか今では分かりません。
 とにかく弁天さまは元来インドにおいて河や海の氾濫を鎮める神さま、「サラスヴァティ」が仏教の神として習合し、遙か遠く離れた本邦においても、河や海の被害を受ける土地の護り神さまとして多くお祀りされております。
 世界遺産として国内外からの参詣客が多く参られる吉野山と高野山の西麓を流れる峻険な「吉野川」、高野山の麓を流れるときには「紀の川」と名前が変わります。
日本でも有数な降雨量を誇る大台ヶ原を源として流れる清流は、次第に水量を増し、吉野山の麓、五條市で蛇行を幾度も重ね、大雨のときに氾濫を繰り返し、多くの民を苦しめました。そこで古来より河を鎮める弁天さまがお祀りされ、人々を災害から守って来たのです。その土地では、後に高野山の流れを汲むお寺の住職夫婦が弁天さまの天啓を受けて一宗を開宗したほどでもあります。
 瀬戸内海にぽっかり浮かぶ小豆島。その周囲に多くの弁天さまがお祀りされております。やはり、古代から島の住民は海の災害に苦しみそれを鎮めるためにお祀りしているのです。
 先の弁天島は、江戸後期に編纂された『小豆嶋名所圖會』には「経ヵ嶋」と記載され、簡潔に「名義詳ならず」と出て、「経ヵ嶋」の辺りに「大與嶋」「中與嶋」があるとされております。そこには続いて、柳浦に「江洞辯財天社」があり遍路六十一番札所であった事が記されております。現在は第六十番「江洞窟」となっており、相模は江ノ島の弁財天さまを江戸時代に分社して当地でお祀りしているものです。
 小豆島霊場で弁財天を本尊としてお祀りしているのは、ここだけであり海に面した自然の洞窟に弁天さまをお祀りしているのですが、平成十六年、台風に誘発された高潮被害で、他の地区が大変な被害を被っているのにこの地区だけがほとんど高潮の被害を受けていないのは不思議でありました。きっと地元の参拝者の方々の日頃からの篤い祈りが弁天さまに届いていたのでしょう。

 羽衣の道

 
 弁天さまが着られている羽衣が島と島の間に懸けられ、その儚い道を様々な思いを込めて渡っていかれる姿。
弁天さまは、梵天さまのお妃さまです。ですからきっと日に二度、おめしの羽衣を道として大余島へ渡してお逢いに行かれるのでしょう。
金庸作「新鵰侠侶」の小龍女が幼い楊過を重陽宮まで救いに来るその姿。まさに羽衣を小径の如く歩まれて天女のように現れる姿がその弁天さまの華麗なお姿に見えてしかたありません。

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4 月 15 2008

桜の散る頃

Published by hrdaya under 圓満寺, 境内散策

 

桜の散るのは早い。
無常の理の如く、儚い花の命は儚いからこそ尊いのだと毎年思う。
移り行く泡沫の夢。
苟且の世の情。

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4 月 01 2008

真言教学と人権

Published by hrdaya under 本山出版, 言霊綴り

  はじめに

 仏教はその成立当時、インドの宗教的社会的思想の源泉であり常識となっていたヴェーダ・ブラーフマナ・アーラヌヤカ・ウパニシャドという体系に連なるブラフマニズムによって規定せれた身分階級つまり、チャートゥル・ヴァルナ(四姓)に現形されるカースト制度を否定し「四姓平等」を標傍する革命的宗教思想であった。それは究極の真理である「仏智」を根拠として種族・職業による身分差別の否定であり、人はいかなる場合に於いても本来平等であるとする人権宣言であり、人間解放運動であった。
 時は移り、仏教は様々に分化展開をなして密教に変革しても尚、その根本精神は不変である。しかし、釈尊の未資たる我々が現実に直面する人権に関わる諸問題は如何なるものか。以下、真言宗に於ける人権の理念とその根拠、さらには布教伝道の実際の展開方法について考察する。
 一、経説に見る人権の理念

 本宗は「大日経」と「金剛頂経」との両部の大経をもって所依の経典とする。
前者は「如実知自心」と「三句の法門」という教相的側面を、後者は「五相成身観」という事相的側面を経説の特徴とする。そして、両経は曼荼羅によってその体系を簡明に図説される。
曼荼羅は、経説の宇宙観や真理の理論的根拠、並びにインドに於ける社会構造の象徴的表現であった。
 畢竟するに人は社会という曼荼羅の構成要素のひとつであり、そのため自ずから存在理由として「権利」を有し、「義務」と「責任」という役割を分担して背負っている。胎蔵生曼荼羅に於いては、その中心<大日如来>であろうが外郭の<諸尊類衆>であろうが、ホロニックな、つまり独立した一個の存在であるものが異なる質を越えて調和し、相互に礼拝し供養し合う役割の時機応化を示し、主客なく、差異即平等であり、本不生であることを説き示す。また経説中に、「人権」なる表現は、観点の相違から直接的記述は見出せないが、その意味するところを包括し、さらには常識的思惟を超越して、より高度な人間認識としての、「凡聖不二」や「三心平等」といった「本不生」の概念にそれは含まれると見てとれる。
 二、「大日経」の修道論

 「人権」問題が叫ばれる昨今、真言宗の教学を如何に人権啓発の実際にフィードバックすべきであるか。心理的向上方法として、「大日経」にはどの様に修道の方法、修行の過程を説いているのだろうか。
経説を概観してみると、それは「三句」「五転」と「三劫」「六無畏」とに要約できるのである。
「三句」とは、「菩提心を因とし、大悲を根となし、方便を究竟とす」という実践行の根本の観念となる教えである。
「五転」とは、発心・修行・菩提・涅槃・方便究竟というこころの向上門の修 道を説き、この「三句」と「五転」とが真言行者の心の向上展開を表わし「三句」 を詳説したものが「五転」であるとする。 
また、「三劫」とは、「三妄執」つまり三種の煩悩であり、一には自己の身体を 実有と感じ自他の区別ありとする妄心、二には法を実有とする妄心、三には一切 法に能所ありとする無明の妄心をいう。
「六無畏」とは、善無畏・身無畏・無我無畏・法無畏・法無我無畏・一切法平 等無畏という心に起こる畏れを除き信心を決定して安心を得る修行の六過程を示 す。この「三劫」と「六無畏」とは真言行者の心の向上展開する階位を示し、「三 劫」を詳説すると「六無畏」になるとする。  
三、経説に依る人権啓発の実際

 「六無畏」は菩薩の修行の階位を示す「十地」の前の段階と見なされるが、そ れは「十地」が出家者たる菩薩行者の修行の階位を示すのに対して、「六無畏」の 初位である善無畏は、大師の説く十住心の第三住心までの如く世間に於いて生計を営む世俗者の心の修 行徳目を挙げる。今、問題であり考察すべき事項は如何に世間の人々をして人権啓発たる心 の開発を啓蒙し、教え導くかであるのかを鑑みると、この善無畏を現代的に咀嚼し 実際に執り行う必要があることが分かる。  

 イ、善無畏の意味
 自己の身体を実有と感じ自他の区別ありとする誤った考えを持つ凡夫は、その 主客の差異の認識から差別の因を生じ、ついには実社会に於いて「人権」の侵害 を及ぼす偏見・差別の不徳なる行為を引き起こす。この無明なる凡夫の心を啓発 するのが善無畏の意味するところである。
 善無畏は、凡夫つまり自己の存在理由の正しい認識に乏しく、現象世界の事象に捕らわれ呪縛された者の心に存在理由の真理を求める心を起こさしめ、止悪行善の道を進ませ、十善戒を遵守させて、悪趣に堕る畏れを取り除くことを目的とする。
さらに真言行者であるならば三昧耶戒を受け三密修行に励み菩提心を確立するのがこの善無畏の段階である。

 ロ、善無畏の実際
 この善無畏の行いは現在「懺悔」「三帰戒」「三竟戒」「十善戒」「発菩提心戒」「三昧耶戒」「光明真言念誦」「御宝号念誦」に集約され、さらには、「四恩」の報恩行、「四攝事」などが説かれる。現世の煩悩に惑わされる人々に、いかに自己の存在認識の真理を求める道を歩ませるか。その意思決定の源泉は「戒」にある。

 ハ、戒の意味
「戒」とは「~しよう」とする意思であり、「~します」という誓いであり、「~できますように」という願いであると体系付けて言うことができる。つまり「誓願」なのである。さらに換言すれば、「戒」とは我心をよく制御・抑制して「戒」を持すことが心の善行為への発動根拠となり、「戒」の反復誓願が戒体を起こし、その羯磨によって菩提心を生起せしめ、「戒」の展開の究極の姿勢を示す本宗独自の「三昧耶戒」へと昇華できるのである。
 「三昧耶戒」とは、三心平等の自覚と実践こそが「戒」の本質であり、「人権」問題の根本であるところの、自他の差異の認識から生じる心理的側面からの差別意識解消の、実際の根幹となるものである。

 二、「四恩」「四攝事」の実践
 「三昧耶戒」に於いて、心理的差別意識の排除がなされても、物理的、視覚的差別意識の排除が必要である。いかに心理面で理論的に諒解されていても、目で見て雰囲気に触れてみると、新たに深層心理に悪影響を及ぼす原因を生じることがある。その物理的・視覚的差別解消を行うのが「四恩」「四攝事」の実践である。
 「四恩」は、父母・国家・衆生・三宝の四種の事象から恩恵を受けて生かしていただいているという感謝と報恩の行為である。
 「四攝事」とは、布施・愛語・利行・同事という人々と接し誘っていく実際の手立てである。それらを現実的捉え方をするならば、
「布施」とは、貧困・災害・障害などによる経済的物質的枯渇者への救済としての財的援助であり、
「愛語」とは、和やかな顔で親しみをもって慈愛に飢餓する者、身寄りのない老人や病人などへの看護の接し方の有り様であり、
「利行」とは、狭義には個人のために援助努力することであり、広義には社会福祉や医療福祉などの六福祉現業機関や、地球環境保護運動としてのエコロジーなどへの参与であって、
「同事」とは、先の福祉現業機関やエコロジーへの財源的援助に留まらず人的援助としての貢献を意味する。実際に人の看護・介助に携わるとき、被看護・介助者への偏見と差別の意識はその心理的認識が正しくされている者にとってはより自他の差異無しの認識の確立に好影響を及ぼすが、そうでない者にとっては逆効果となって一層の偏見などを増長させる可能性が生起する。それ故、心・物両面での啓発が必要となってくるのである。
 さらにまた、本宗として現業機関への参与に留まらず、教義に照らし合わせた三密妙行の施法を行い、宗教的安心・無畏を施す方法の確立が待たれる。
例えば、

 ○若者に対しては将来への不安の除去
 ○中・壮年に対しては老いと老後の生活への不安の除去
 ○老人・終末治療者に対しては死への畏れの除去

などを挙げることがでよう。
近年、老人ケアなどは本宗の実績が顕在化されてきたが、とくに若者への精神的ケアとしてのカウンセリングや終末治療者に対してのホスピスなどのといったものへの宗教的働きかけは、大きく期待されているので早期の実践、体系化が望ましい。
 これら「四恩」「四攝事」のひとつひとつの事項は相互に密接な関係を持ち、その展開と連携とにはどれが欠けても完全なものにはならない。正しく偏見を排除し、人権啓発をも越えた社会への宗教的貢献のために本宗教師ひとりひとりの実践行が必要不可欠である。
 結 語

 以上、推及するに、「善無畏を実践する」ことによって偏見と差異の認識を排除し、差別撤廃の心理的物理的両面への貢献が可能である。本宗教師は、人権問題を解決する内容を持つ曼荼羅共生の理念のもと、まず自ら高い誓いと願いとを持って三密行を実践し、自利利他の菩薩行を実践しなければならない。その意思の源泉は「戒」であり、「戒」の羯磨である。その上に立って民衆を救済せねば虚飾の行いと言えよう。曼荼羅共生は各自の「戒」による意識の高揚と「智慧」による正しき自己認識とからもたらされるのである。
 

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3 月 01 2008

日本仏教の祈りを問う

Published by hrdaya under 六大新報, 言霊綴り

 廃墟

 ルンビニーや祇園精舎の仏蹟には、今はただ廃墟が残るのみである。そこに一度足を踏み入れたならば、悠久な時の流れに押し遣られ寂漠たる思いに満ち溢れてしまう。
 此処には何もない。
ただ在るのは、禿頭の観光客とそれに群がる物売りと金銭の施しを願う者たち。
 そこへ、木欄色の衣を着た僧侶がひとり現れた。
彼は、緩やかな身のこなしでいつものように木陰に座り、眼を閉じた。
そして、祈りはじめた。
遙か2550年の時間を経て、釈尊の心と自己の心とを通わせている。
その姿に、無常という夢幻の世界へ絶え間なく希望の光を差し伸べてくれる真理の世界の存在を確信し、日本から訪れた我々も傍らで至心に祈りを捧げた。

 

 1、日本仏教への懐疑

 先般、小さなお子さんを持つ若いお母さまから「こころの相談」をお受けした。
 「義母は、お四国や高野山への参拝をしたり、お寺の行事などへも積極的に参加したり致します。また毎日、仏壇に祀る御先祖様にお茶湯やお花、線香やロウソクなどのお供えは欠かさず致し、お勤めも致しております。しかし、近所や身内との付き合いの際の争いごとは絶えず、常に不平を申しております。それは私に対しても同様なのです。ご先祖と私たちへの態度の違いに、どうしても仏教、お大師様の教えはどうなっているのだろうかと、信心の薄い私はいつも疑問に思ってしまうのです」
 その内容は、よくありがちな嫁姑問題ではあるが、「仏教、お大師様」のみ教えを現代に生かすことが出来得ていない現実に自己の教導の力不足を痛切に感じた。
 同様な日本仏教への批判的な思いは、檀信徒のみならず仏教研究者からも多く聞かれるようになった。それは、世界の仏教潮流からは異端とでしか捉えようのない日本仏教全体への疑問として論じられている。

 2、世界の中の日本仏教

 世界的な視点で仏教の流れを把握すると、北伝・南伝の二流がある。
北伝は金剛乗(日本的には密教)のチベット仏教圏(チベットを含む中国の一部、ブータン、モンゴル、ロシアやインドの一部など)、ベトナム、台湾、中国の一部、韓国などの大乗仏教そして日本仏教である。
 とくに日本仏教は、インドからの伝播において多くの国々の民族文化風土を経てきた。そして、様々な仏典解釈と常識が付加され、釈尊の簡潔で清廉な悟りの教えは、難解な論理と日本的な格式だった伝統と多様な習俗という衣を纏うことになった。  
 一方、南伝は、スリランカ、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオスなどのテーラワーダ仏教圏である。
ことにテーラワーダ仏教は、釈尊の遺風強きことを自認し、戒律とサンガを重んじる形態を今に残してる。特徴としては、幾多の変遷を経て「プロテスタント仏教」もしくは「合理主義仏教」と言うべき形態となっている。何故なら、南・東南アジアの国々は、植民地からの独立運動もしくは植民地化への危機を経ているため、西欧文明とキリスト教への抵抗運動が必要であった。そこで民族主義運動の源泉となるための仏教が再構築された。例えば、純化原点回帰のために釈尊の教えの形にもっとも近いであろうパーリ聖典を原典として尊重し、釈尊を人間の目指すべき最高の存在として位置づけ、釈尊を過度に神格化した風俗や儀礼を排除し、禁欲的なプロテスタンティズムのなかでもとりわけイギリスのピューリタリズムへ対抗すべく戒律尊重主義を標榜し角逐したのだ。
とくにスリランカでの仏教は「シンハラ仏教」とも言われ、シンハラ人の比丘や神智学の影響を受けた在家仏教者ダルマパーラらが中心となってシンハラ民族主義運動が興り、現在へと至っている。

 3、日本仏教の問題点

 正統仏教を自負するテーラワーダの仏教者がまず日本の仏教へ疑問を呈するのは、大乗思想や儒教道教神道などの教えがバイキング形式に混ざり合い正統で純粋な釈尊のみ教えと大きくかけ離れ、「宗祖教」とも言うべき形態に異端化している点である。
そして、チベット仏教圏の仏教者をも含めて日本以外の殆どの仏教者が疑問を呈するのが、自国語の仏教聖典の不整備によって一部の僧侶と信徒研究者でしか理解出来ない仏教教理と僧侶の妻帯である。
 釈尊、お大師様のみ教えをわかりやすい言葉でもって檀信徒の方々を教化するのが僧侶の勤めであり「教師」とされる由縁であるのに、実際は寺院経営に忙殺されて、人生に苦悩し世間の荒海に溺れもがく人々の横をただ哀れげに見て通り過ぎるのみの日本の僧侶。
 そうなってしまった原因のひとつは、1872(明治5)年4月に布告された『太政官布告第133号』にある。これが日本の仏教者を骨抜きにしてしまった。つまり、「僧侶の肉食妻帯は勝手に、法要以外では衣を脱いでも苦しくない」という命令は、僧侶の近代化と現実の乱れた風紀の容認ではあるが、破戒を勧める政府の国家神道擁護の立場からの政策によるものであったことは間違いない。当初、ほとんどの宗派は反発したが、次第に仏教界に浸透してしまった。そして、現在の日本仏教界は、そのことには全く無関心でテーラワーダの比丘から日本仏教僧侶は正統な出家者僧侶と見られていないことを憂うことなく今だけの規律なき「自由」を享受して憚らない。

 4、仏教の「本質」とは

 仏教の在り方の「本質」を端的に綴ったのが『七仏通戒偈』である。即ち、
「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」
【諸々の悪事を成すことなく、率先して多くの善行をなせば、自ずからその心は浄らかになる。これが諸仏の教えである】
このように自発的な止悪行善を実践すること、つまり戒律を持することによってこころを清らかにして行くことが過去七仏のみ教えであるとする仏教精神が北南両伝仏教共通の認識の筈なのである。その「本質」が今忘れ去られてしまっている。
 そして、止悪行善を実践するために「今にある状態を正しく理解すること」と「どうあるべきか」が仏教の問題意識であり、原因の探求と対処。そして、解脱への修道を目的とするのが仏教である。
 仏教の修道論として「37菩提分法」と、それらをまとめた戒・定・慧の「三学」がある。それらを踏まえて密教の事相も成立している。その「三学」の「戒」は、自我をよく制御抑制し、心の善行為の発動根拠となる。つまり自己向上のための意志であり誓いであり願いなのである。
その戒を持すことが出来ていなければ当然禅定を修めることなど出来ず、仏の智慧を現前することなど出来るはずがない。日本仏教が陥っている形骸化の原因は、修道の悪しき連鎖からである。
 それに対して、テーラワーダ仏教では、「人はどうあるべきか」ということに対して高邁な大乗仏教哲学とは一線を画し、「戒律」を遵守し、誰もが釈尊のみ教えを理解できるように努め実践する。最近では日本の多くの人々が難しく形骸化した日本仏教を離れ、理解しやすいテーラワーダ仏教の教えやヴィッパッサナー瞑想法を実践している。

 

 6、現代に甦るインド仏教

  

 

 仏暦2550年の平成18年(諸説あり)10月、龍樹ゆかりのインドの都市、ナグプールで仏教改宗大会が二〇〇万人の参加者によって盛大に行われた。大会の実質的な指導者は、バンテージ・アールヤ・ナーガールジュナ・シュウレイ・ササイ(日本名・佐々井秀嶺、岡山県新見市出身)師である。
 ナグプールは、中部インド、マハーラシュトラ州第二の都市で約200万人が生活をしている。その街の名の由来は「ナーガ(竜)族の街」から来ているという。
古代インドの文化圏からは「南天」といわたナグプール郊外、車で一時間ほどのところにマンセルという名の丘陵地帯が突然広がる。
 西暦150年前後に八宗の祖、ナーガールジュナ(龍樹)が活躍した大乗仏教の聖地である。今では遺跡となったマンセルからは、往時を偲ばせる遺物が出土している。
 十月二日、想像もつかない程の多くの人々で溢れるナグプールの街は、数百万人の人出と言っても過言ではないと感じられた。
 何故、改宗大会が斯くも盛大に行われるのか。それは、非人道的なカースト差別が厳然と未だにインドで行われている、その不当な差別からの解放運動なのだ。
 インドではヒンドゥー教徒が人口のおよそ八割を占めている。その教えには、もともと肌の色から区別するヴァルナと職業的な階層であるカーストとが存在し、教義としてそれらを厳密に区別する。その背景には征服民族である白色系アーリア人による被征服民族の支配構造が顕著に示されている。紀元前から四世紀頃、バラモン教がヒンドゥー教に変移し台頭してくると、当時の仏教徒などの他宗教徒は改宗を強いられた。そして、改宗させられた人々は、アウトカーストであるアチュート(不可触民)とされ、不当かつ過酷な差別を現在に至るまで強いられている。
その不可触民出身でありながら当時の王に才能を見いだされ、二度に亘る海外留学によって弁護士資格と博士号を取得して帰国したアンベードカル博士は、ガンジーと共にインド独立運動に挺身し、独立後インド国憲法を起草した。独立後、ガンジーの中途半端なカースト政策に袂を分かち、1956年、50万人の人々と共に仏教に改宗した。何故、博士は、仏教を選んだのか。それは、「人間同士の正しい関係を慈悲の心で確立する平等の原則によっている」釈尊のみ教に帰依したのだ。
 それ以降、今年で50周年を迎え、およそ一億人の仏教徒が誕生している。
 インド一億人の心の支えになって現代に甦ったインド仏教。
そのアンベードカル博士の尊い改宗運動を引き継ぎ、現在指導者となって弱い立場の多くの人々を救済するために奮闘努力されているのが佐々井秀嶺師である。

 6、日本仏教の歩むべき道

 形骸化し閉塞してしまいつつある日本仏教。どうすれば再生できるのだろうか。
やはり世界の大きな仏教潮流を受け入れ、重たいターンテーブルを動かして進むべき道を模索して行かなければならない。
まず第1に、大乗仏教八宗の祖、龍樹の再来とされる佐々井師のように菩薩道を歩み戒律を遵守し、大衆のために尽くすエンゲージド・ブッディズム(社会参画仏教)への道。
第2に、釈興然師のようにサンガに於いて清貧かつ戒律を重んじるテーラワーダ仏教へ向かう道。
そして、河口慧海師が最後に到達した宗派を超え、現実の戒律に即し、大乗仏教教理にによって教導するウパーサカ仏教(在家仏教)への道である。
 しかし、我ら真言僧は、四分律や有部律(高野、御室)を捨て在家仏教へ向かうべきなのか。江戸時代、大師回帰運動の結果、有部律へ移行するかで大論争を起こした先師の意を無に帰すのか。
 また、純粋で正統であるシンハラ仏教であっても問題は幾つか存在する。純化の弊害としてスリランカの少数民族であるタミール人への排他的行為が顕著となり民族対立に根ざす紛争が現在でも絶えない。それも最近まで和平交渉に比丘は不支持であった現実がある。

  結び

 形骸化しつつもこれまでも日本の仏教各宗派は、社会福祉事業に参画し、成果を上げて来ている。高野山では先進のスピリチュアル・ケアを取り入れて様々な社会的参画をしつつある。その流れは今後、積極的に継続して行うべきものである。
さらには、政治にも積極的に参画してゆく道を模索すべきである。ただし、「本質」を見失ったままの現代日本の僧侶であるならば、事業を形骸化し閉塞させかねない。
 それを防ぐためにも仏教僧侶としての「本質」である「三学」を実践し、真摯な祈りによって形骸化した日本仏教に血を通わせ、再生させなければならない。
 今後、世界の仏教寺院に修行と交流とを兼ねた僧侶を派遣し、生身の仏教者との交流を増やし、そして、日本の仏教者は、在家僧侶関係なく、戒律の理解を深め、規律を整え、不正を戒めて綱紀粛正して行くことが必要なことなのだ。
そうすれば「小乗」と罵ったテーラワーダ仏教の「戒律」を遵守される比丘の方々の尊厳さを認めることができるようになり、テーラワーダ仏教圏やチベット仏教圏などの比丘や在家仏教者(五戒や八斎戒を遵守されている方々)から、「寛容の精神」でもって「日本仏教」の多様性を認めてくれる日が訪れるのである。
そして、その日がまぎれもなく日本仏教再生の日となるのである。

「六大新報」平成19年新年号掲載

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3 月 01 2008

密教の今日化

Published by hrdaya under 言霊綴り, 高野山時報

 ファナティックな人類史上最大の祭典である、ワールドカップサッカーが日韓共催として五月末から約一月間にかけて両国を舞台に開催された。アジアではじめて開かれる大会ではあったが共催国が熱烈に応援するなか、両国チームの健闘により素晴らしい成績を収めることが出来た。そのとき誰しもが日韓両国間の社会的経済的文化的関係の新時代の到来を予感したのである。

ところが九月になると、北朝鮮による日本人拉致事件への思わぬ展開が起こった。

日本海に面する地域の人々を長期間に渡って緊張状態におとしめた忌まわしき「拉致」事件。その事件の解決を目指す小泉首相の訪朝が、九月十七日に行われた。そして、ついに北朝鮮側は「拉致」を認め、事件への謝罪と拉致日本人生存者の帰国が現実のものとなったのである。ところがその後、北朝鮮に残してきた拉致被害者家族の問題が生起した。そしてなんと、北朝鮮が核開発を進めていることを公表したのだ。そのため、それまでの雪解けムードは一変し、朝鮮半島を巡る緊張が一気高まっているのである。

 来年は、祖師大師が入唐求法されて千二百年になる。

そのため、高野山では多くの記念事業が計画され、第百十九次秋季宗会に議案第十号として上程され特別委員会の審議を経て予算が承認された。その計画の中には、中国関係各所への道路舗装補助をはじめとする社会的貢献やシンポジウムなどの文化的交流、大師の中国での足跡を辿る巡礼行などが予定されているのである。とくに「弘法大師ご入唐一二〇〇年記念の旅」への勧誘は、すでに行われ恵果・空海紀念堂、赤海岸、空海大師紀念堂での法要が予定されている。

 入唐された大師は、はじめ長安の西明寺そして青龍寺で学んだ。西明寺在住の時には醴泉寺の般若三蔵や牟尼室利三蔵に師事し、青龍寺では恵果和尚につき金胎両部を受法し遍く密教の大法を嗣いでいる。また、恵果和尚門下には、カリンガの弁弘、新羅の恵日ら海外からの求法僧がおり、日夜研鑽に励んでいた。それは、最深最勝の法を郷土へ伝え、その教えにより自国の護国安穏を期すためであった。

 今、大師当時を顧み、法の下、袂を広げて東アジアの日中韓朝各国が互いに助け合うことができるように、そして平和であり続けられるように記念事業の法要や巡礼行で祈りを捧げていただきたい。

 現在、高野山真言宗では「心の相談員」、「スピリチュアル・ケアワーカー」の育成を目指し僧侶・寺族に留まることなく広く一般の福祉関係者にも門戸を開き研修が行われている。それは、「仏教(密教)カウンセリング」によって疲弊している現代人の心を癒し、救っていこうとする仏教実践の試みである。

「人の心と身体は切っても切れないもので、それぞれにはエネルギーがあり、その調和が大切である」とユング系心理学者で文化庁長官でもある河合隼雄氏は語る。氏は元来、仏教へは嫌悪を抱いていたというがカリフォルニア大学およびスイス・チューリッヒのユング研究所への留学を期に欧米の研究者が注目している東洋思想を西洋医学に取り入れてることの必要性に気づき『明恵 夢を生きる』などを著して日本の知的財産の再発見に成功している。

 仏教哲学では古くから心の実体を分析し解明しようとする唯識学派が大きな流れを持っていた。その「心の分析」は、観点によっては現代心理学をも超越した深淵な大系を有するのである。そして、仏教の展開は、心だけ(唯識)ではなく実体(身体)との調和を修道する瑜伽行唯識などの流れをも生み、ついには空の思想体系を持つ中観学派と先の唯識学派とがインド古来の呪術的宗教儀礼を仏教に取り入れていた「流れ」に実践的に融合し、密教へと昇華して行くのである。つまり、河合氏の語られる「心と身体」を重要視する考えは、すでに仏教史上では千数百年ほど前に大系づけられてのであった。しかし、現代に生きる我々にその教えがあまり生かされていない悲しい現実がある。

何故なら普遍的真理の根幹は存在していながらも言語や宗派の壁、教義解釈の難しさなどによりアジョルナメント(今日化)されていないからなのだ。

 近年、高野山と親交を深めつつあるカトリックの総本山バチカンでは、一九六二年に時の教皇ヨハネ二十三世が第二バチカン公会議(―六五)を開催し、世界各国の文化的独自性を尊重し、自国語での礼拝を勧め、他の宗教を認めることによりそれまで閉鎖的であった諸宗教との対話を深め、教師や信徒の養成を積極的に行い、教会による社会的貢献の実現などを目指す方針を決定した。また、その後、一九八六年イタリアの聖フランシスコゆかりの地アッシジで「宗教者平和の祈りの集い」が催され、それ以降、毎年一度、世界各地で「世界宗教者平和のための祈りの集い」が開催されるようになっており高野山真言宗からも毎年参加している。

 このようにカトリックでは、その教えの今日化のために日々邁進しているのである。我々も大師入唐千二百年を迎え「真言密教のアジョルナメント」を画策すべく、多くの記念事業と時を同じくして「真言大会議」を開催し、これからの現実的な思想的方向性を構築して行くことが真言門徒の使命ではないのだろうか。

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3 月 01 2008

現代に甦るインド仏教

 日本の国土の約9倍の面積を持ち、中国に次いで11億人近くの人口を有するインド。仏教が生まれた国でありながら13世紀初頭イスラム教徒の侵入によって壊滅させられた。

 仏暦2550年の今年(諸説あり)、中部インドの都市、ナグプールで仏教改宗大会が200万人の参加者によって盛大に行われた。大会の実質的な指導者はBhante-G Arya Nagarjuna Shurei Sasai バンテージ・アールヤ・ナーガールジュナ・シュウレイ・ササイ(日本名・佐々井秀嶺、岡山県新見市出身)師である。

 ナグプールは、郊外に空港を持ち約220万人が生活をするマハーラシュトラ州第2の都市である。その街の名の由来は「ナーガ(竜)族の街」から来ているという。
古代インドの文化圏からは「南天」といわたナグプール郊外、車で一時間ほどのところにマンセルという名の丘陵地帯が突然広がる。

 西暦150年前後に八宗の祖、ナーガールジュナ(龍樹)が活躍した大乗仏教の聖地である。今では遺跡となったマンセルからは、往時を偲ばせる遺物が出土している。
 10月1日、午後1時から行われたナグプール市街地を巡る街頭パレードでは、ナーガが雲をもたらし数千人の比丘や数十万の仏教徒を四・五時間に亘り強い日差しから優しく護ってくれた。
佐々井師のご配慮で同じトレーラーに、それもすぐ間近に座らさせていただきナグプールの街を数十キロパレードさせていただく栄誉に浴した。
引き続き、アンベードカル記念公園特設会場へ移動し、舞台に上げていただき同行の方々と「いろは歌」を歌い、日本とインドとの交流を深めた。

 10月2日、マンセル遺跡を見学の後、夕方から前日の会場に移動。想像もつかない程の多くの人々でごった返すナグプールの街は、数百万人の人出と言っても過言ではないと感じられた。

 何故、改宗大会が斯くも盛大に行われるのか。それは、非人道的なカースト差別が厳然と未だにインドで行われている、その不当な差別からの解放運動なのだ。
インドではヒンドゥー教徒が人口のおよそ八割を占めている。その教えには、職業的な階層とその背後に征服民族による被征服民族の支配構造が顕著に見られる。4世紀、ヒンドゥー教の成立以降、被征服民族および当時仏教徒などの他宗教徒で改宗を強いられた人々は、低カースト層、それもアウトカースト(カースト外)であるアチュート(不可触民)とされ、不当かつ過酷な差別を現在でも強いられている。
その不可触民出身でありながら当時の王に才能を見いだされ、海外留学し、弁護士資格と博士号を授かり帰国したアンベードカル博士は、ガンジーと共にインド独立運動に挺身し、独立後インド国憲法を草案したが、ガンジーの中途半端なカースト政策に袂を分かち、1956年、50万人の人々と共に仏教に改宗した。何故、博士は、仏教を選んだのか?それは、「世界人権宣言」によっても宣誓された、「人は身分によって差別されない」とする釈尊の教えに帰依したからなのだ。

 それ以降、今年で50周年を迎え、およそ1億人の仏教徒が誕生している。

 インド1億人の心の支えになって現代に甦ったインド仏教。
その指導者が佐々井秀嶺師である。同じ仏教徒である日本人のほとんどが知らない事実でもある。

 

青年達の青い帽子は、釈尊の髪を表す。力強く生き抜く力の象徴が「青」であるからだ。

(h18.11 小豆島霊場会「遍照」掲載)

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3 月 01 2008

「一樹の蔭、一河の流れ」

Published by hrdaya under つれづれに, 言霊綴り

淡き霞漂う海原よ
降り止みし五月雨の
雲の登りつ山肌に
一樹の蔭に宿りしは
遙か恒久の掟なり

天の滴を集めおり
一河となりにし清流に
のどの渇きを癒すべく
並びて啜りし涼水に
他生の縁を感じ得ん

新緑のあまりに眩しき生命力に、こころと目を奪われつつも瞬時にして現実の世界に還元し、悲しみの苦海に再び溺れ喘ぐのみ。
ただ、そのことが反って生の尊さ、貴重さを実感させてくれるので生存への感謝の気持ちに満ち溢れているのだ。

文藝春秋の「オール讀物」を斜め読みする。
この大衆小説誌の名称には、若干拒絶感があったのだが、現在では、純文学との棲み分けは過去のものになっているようだ。

東野圭吾、嵐山光三郎、平岩弓枝、丸谷才一、佐藤愛子、伊集院静、柴門ふみ、勝目梓、津本陽などそうそうたる執筆陣においてリズム感があって読みやすく、その上、視点の的確なディテールにより構築されている石田衣良が良い。
あと女流中堅どころの時代ものが安定した力を発揮していると感じた。
いや、決してこの大連休を休暇として謳歌できたからではないのだが、あまりに閉塞した皆勤休みなしの勤めへのささやかな抵抗みたいなものだ。
ある程度心身が極限状態に達すると、情緒ある曲を聴いたり心にしみる小説や映画を観たりするとその疲れやモヤモヤが涙となって溢れ出てくものだ。
今晩(七日)なども、手嶌葵さんの哀しげな歌声を聴いたとき、『あの子を探して』のクライマックスだけを観たとき、そして、あるサイトに「一樹の蔭、一河の流・・・」の言葉を見い出したとき、感動が溢れてきた。

「一樹の蔭、一河の流れも他生の縁」は、圓通述『説法明眼論』を典拠とするが、聖徳太子のお言葉にも見出せるという。謡曲などいくつかの作品に依用されており、私も御詠歌『相互供養和讃』からその言葉を以前から知ってはいた。
ただ、今日見かけたその言葉は、冠記の通りに私によって感じられ、本来の意味とは少し離れた散文の思いとして溢れだしてきたのだ。

ブログをご覧いただくのも他生の縁。
遙か悠久の昔から、ありがとうございます。

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