圓満寺

小豆島霊場第74番

讃岐 小豆島
圓満寺とは
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概要




小豆島八十八カ所霊場第七十四番札所宗派:高野山真言宗
開基:行基菩薩
本尊:十一面観世音菩薩(伝恵心僧都作)
真言:オン マカキャロニキャ ソワカ
詠歌:望の夜の 月の姿に 似たるかな
          心まどかに 満つる願ひは


沿革

圓満寺は行基菩薩(668~749)の開基で、弘法大師の立教開宗の本誓に鑑みて、遠く壱千有余年の昔、延長貮年(924)安宗法印が中興されたと伝えられています。

 

もとは現在地近くの慈恩谷にあったので慈恩寺と称し、幾星霜を閲して漸く治承年間(1177~80)黒岩、中上の当地に移り寿福院と改め、江戸期元禄年間(1688~03)に千光山寿福院圓満寺の寺号を京都大覚寺より允許されました。

時は移り大戦後、暫く荒廃の苦厄を蒙りましたが先師、哲命昭和58年晋山以来、途中土庄の西光寺と兼務しながらも先の湊慈善和尚の悲願であった本堂再建を達成し、更には境内一円を整備して形容正に整うものとなりました。

そして、平成10年1月25日、瀬尾光昌晋山、法灯を継承し現在に至ります。

恵心僧都(942~1017)作と伝えられる本尊十一面観世音菩薩は秘仏であるため、その御前立ちにと新たに大仏師松久宗林師弟子渡邊勢山師により製作、平成4年秋に奉納安置されました。
他に町指定文化財藤原時代伝安阿弥作阿弥陀三尊像や大日如来、地蔵尊、多聞天、弘法大師。また、天神さんやお稲荷さんなどをお祀りしています。
参道入口には樹齢約四百年といわれるシンパクがそびえ、檀家さんやお遍路さんを出迎えています。

黒岩は弥生式土器などが出土する風土記の丘であります。


おもな年間行事

元旦   暁天大般若
     年始参り
1月11日 御日待ち
8月11日 棚経
8月23日 地蔵盆
     

住 職

 

■名前
   ・瀬尾光昌(せお こうしょう)
   ・ハンドル・ネーム:hrdaya(フリダヤ)

■経歴
   ・横浜で生まれ育ちました。
   ・保育園を中途退学。
   ・高野山大学大学院仏教学専攻博士課程単位取得退学。

■渡航
      ・スリランカ ネセック財団仏教福祉センター表敬訪問、瞑想センター研修
  ・ネパール 目玉寺参詣、ルンビニー
      ・インド ブッダガヤ、霊鷲山、ナーランダ大学、ナグプール仏教改宗記念大会参加
     
■現在
  ・高野山真言宗 圓満寺住職。
      ・高野山本山布教師
      ・心の相談員
      ・阿字観指導員
     
   
■好きな言葉
   「憎しみは憎しみによって止まず、ただ愛によってのみ止む」

※1951、サンフランシスコ平和会議でスリランカ、ジャヤワルデネ外相(のち大統領)の演説で引用されたブッダの言葉。
 この言葉の背景には、ジャヤワルデネ氏がサンフランシスコ平和会議に先んじて戦後間もない日本を訪れた際、多くの民衆と接して感動したその気持ちが込められている。
即ち、一般の日本人は、今もなお、ブッダの教えを生かし平和を願って生活しているいるという現実。それを強く感じた彼は、ブッダの『ダンマパダ』から言葉を引用して、仏教がアジア諸国を結びつけ今なお共通の文化としてあり、日本にもその教えが息づいており過ちに気づき反省したならば独立の機会を与えるべきであると考えたからなのだ。
 この言葉は、キリスト教圏など世界各国の人々にも理解できるように原語の言葉を換えている。
それは、「憎しみ」の元の言葉は「怨みvera」であり、「愛」は「怨まないavera」が原語であって、
「怨みは怨みによっては止まず、ただ怨まないことによってのみ止む」が原語にもっとも近い訳となろう。