圓満寺

小豆島霊場第74番

讃岐 小豆島
宗教の再検討

宗教の再検討

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 はじめに

イエス・キリストの神話は、『死海文書』の発見・研究によって崩壊した。しかし、そのことによって人間臭く、より真実に近いイエスの実像が浮かび上がってきたのである。

『死海文書』には、イエスの両親がクムラン教団に入信していたこと。そこに於いてイエスは生まれ育ったこと。クムラン教団はユダヤ教の一派、エッセネ派と反ローマ主義のゼロテ党との間に密接な関係をもち、成人して指導者となっていくイエスの汎人類的な生き方や教えがユダヤ教とユダヤの民の宗教的政治的危機を助長する扇動者として捉えられていたのである。

それらを踏まえて研究者は、聖書・福音書の再検討に取り掛かりイエスの真実の言葉を抽出する作業などを行いイエス再評価の素晴らしい結果を生み出す原動力としたのである。

一方、仏教に於いても多くの学者の研究によって釈尊の実像が明らかになってきた。釈尊当時のインドには、今日の日本のように数多くの新宗教が発生して宗教的政治的問題を惹起せしめた。それは、ブラフマニズムに於けるバラモンを最高階級とするチャートゥル・ヴァルナ(四姓)なる身分制度の否定や常識化慣習化されたヴェーダによる宗教観・世界観への改革であった。

そして、まさしく釈尊は改革者の雄であった。

大光明たる改革者釈尊のさとりは、時代を経てインド的受容と展開をなし、その教えが一方で中国に伝わり、その地の文化を吸収して半島や日本へと伝播した。風土民族文化を経るごとに様々な仏典解釈と常識が付加され、革新の光明が伝統と格式という衣を纏うこととなった。  釈尊から二千数百年、はじめバラモンとなることを嫌った沙門たちは、今まさに、バラモン化してしまったのである。その結果、経説と実際との間に、多くの問題を背負う事態に陥ってしまった。  いま、特定の思想主義に限ることなく、僧侶に対して否定的な見解を説く者が多く現れている。そして、彼らは、「僧侶不用論」を旗印に活発な既成仏教批判を行っている。何故、《仏・法・僧》の三宝のひとつである筈の僧侶が不用であり不要であるのか。仏教存続の危機とも成り得るこの事態について考察してみる。

(1)なぜ僧侶が不用なのか

「仏教は自己の宗教心を必要としない」。有り難い僧侶の強力な供養の力をもってなくしては先祖の供養や病気平癒の祈願は達成できない。そうであるならば、在家の信者はただ、僧侶の供養の力、加持力によらねばならぬ。それが「異常な事態」でなくして何なのであるか。そもそもほとけや本尊との間に僧侶という介在者がどうして存在しなくてはならないのか。ほとけと直接対話することは不可能なことなのか。  大乗仏教の標榜する菩薩行には、『維摩経』に示されるが如く在家居士の道が説かれている。菩薩への道は、一人一人の独自の修行道であり介在者など必要ないのである。

さらに悪しきことには、介在者は己が立場を護持し増大させるために様々な理屈や根拠を持ち出して仏法を曲解させている。そして、多くの権威の発揚と過度な機構を設け不必要な荘厳に満ちた儀式を創作して営んでいるのである。

本来、仏教の指導者はひたすらさとりへと向かう純粋で清貧なものであった。しかし、現実の僧侶は医師や弁護士のように専門の知識を誇示して喪主や施主となる檀信徒に絶対的な服従を強要し、搾取を行うのにすぎない。そして、僧侶の実態は金や異性に溺れる生臭い色欲集団と化し、説くところの法話は在家信者の知識より乏しく品性下劣なのが現実である。 そのような僧侶に師の礼を尽くさなければならない必要があるのか…。

以上が僧侶に対して否定的な見解を示す者たちの僧侶への思いであり、僧侶不用論の根拠なのである。  これらをまとめると、

①僧侶の資質の問題。 ②官制仏教への失望。

という二点に絞ることができよう。 次にこの二種の問題点について順次考察してみる。

(2) 僧侶の資質の問題について

①出家と在家

原始、釈尊の教えに従う四衆は、それぞれ戒を受けて修行した。そのうち比丘・比丘尼は、出家者でありサンガ・ヴィハーラに集い社会的束縛を一切離れ職業に従事することなく専ら律という生活の規範に従って日々を暮らし、さとりへ向かうため戒を勤め、さとりのための学問と遊行を行った。ただこのさとりは無学の境地をさいたが。それに対して優婆塞・優婆夷は在家の修行者であり一般社会にあり職業を持ち社会の一員としての義務と責任を果たしつつ生活し、その中で守ることのできる戒律を部分的に受け一生あるいは一定期間の修行行為を行った。そのため、目指すところの境地と志向、質には自ずから差異が生じたのである。

大乗仏教に移譲して「空」の実践・菩薩行における出家主義の流れは、《縁起・無自性・空》という空性を智恵によってさとり解脱して至福へと至ることを目指し、そのために智恵の資糧を積み究極の真理を得て諸仏の法身に至る「勝義の道」と、在家者が方便と慈悲によって信仰を持ち幸福となって繁栄がもたらされることを目指し、そのために福徳の資糧を積み止悪行善を全うして諸仏の色身に至る「世俗の道」という二諦が示される。そこには出家者だけに絶対的な価値を認めないまでも、世俗を捨てて出家することが究極の意味に於いて執るべき態度である立場が顕正される。  そして、智恵と福徳の資糧を得てさとりへと向かう意志の源泉は原始仏教時代と何ら変わることなく「戒」によるのである。     ②戒の持つ意味

仏教の一方の究極の形態は密教である。釈尊の教えが多種に分化展開をなし、密教に変革しても尚、まず修行のはじめに 「戒律」を厳しく授けるのである。 空海の『三昧耶戒序』に於いて二種の戒を説く。   戒に二種あり。一には毘奈耶、此には調伏と翻ず。二には尸羅。翻じて清涼寂静という。 はじめの毘奈耶は「律」と訳される。尸羅は 「戒」と訳される。ここでは戒の通釈されるところの「戒律」の意味が示される。しかし、元来二者は似て否なるものでり、「戒」とは我心をよく制御・抑制して、さらに「戒」を持すことが心の善行為の発動根拠となり、その根拠からさとりへの方法ー例えば六(ときに七あるいは十)波羅蜜や四摂事、四恩の報行ーをよく守り達成することの原動力となるのである。

③戒の種類

さらに空海の『秘密三昧耶仏戒儀』を見ると、

○三帰・三竟戒   ○発菩提心戒

さらには、

○清浄三昧耶戒   ○清浄妙戒(三聚浄戒)   ○諸禁戒

などが示されている。また、十善戒は『十住心論』や『弘仁の遺誡』に詳しく説かれる。そして、それらの戒を得度や授戒時に授けるのである。

戒を現代的に解釈するならば、戒とは「~しよう」という意志でり、「~します」という誓いであり、「~できますように」という願いであると言える。さらに、十善戒の不殺生を例に挙げれば、ただ「生きと生けるものを殺してはいけない」という受動的で消極的な捉え方よりも「すべての生命を育む努力」を為すこと。自分の命であるならばその「能力を正しく生かし伸ばして行き、怠惰な生活で自分の生を無駄にしない」という積極的な捉え方をすべきものである。

そして、三帰・三竟にはじまる戒の展開は十善戒の羯磨によって戒体を発し菩提心となり、ついには戒の究極の姿勢を見せる密教独自の三昧耶戒で締め括られる。それは、三心平等の自覚と実践こそが戒の本質であることを示す。  そこで最も重要な問題は出家・在家に関係なく、行うべき修道の源泉である戒を皆、護持しているのかということである。戒には律と違って犯戒の罰則がないことが望ましい。それをよいことに歯止めが利かず何事も容認されてしまう。そのため「戒律」並記される意味がそこにあった。現在、僧侶の戒の不履行によって、

○飲食についての問題  ○戦争時の出征についての問題  ○婚姻についての問題

などの多くの問題が内在し、ときに具現化する。  それら戒を持していない多くの日本の僧侶の現状に上座部仏教圏の国々は、かの地に於いて僧侶として儀式に正式に参列しようとする日本僧侶に対し新たに戒を受けさせるのである。そして行き着く先は、戒を持さない出家者と戒を持す在家の者との間に立場の逆転が起こるのである。

(3)官制仏教への失望について

平安仏教成立以前、推古天皇三十二年(六二四)に設けられた僧官制度、さらには文武帝の僧尼令に於いて私度僧の禁止。そして、三綱制によって僧侶の官職化が行われ、国家の認定により定額僧が年分度されるようになり、日本の仏教は官制仏教の道を歩むことになった。そのため平安朝末にはすでに本来の宗教色を失い、出身門閥によって身分が左右される貴族的官職組織に堕落しつつあった。また、国家の祭政を司る神道と習合して社宮を差配し、郷に土着化し、神道が依った儒教や道教の喪式や回忌供養の儀礼や祈祷祈願を流用してそれを慣習化させたり江戸期には役場の末端としての寺檀制度を構築し、旅行手形を発行するなど特権をもって民を統制した。

仏教とその伝播した国の既存の宗教との融合はインドの隣国、スリランカをはじめとして多く見受けられることではあるが、本邦に於ける神道との習合は天台の本地垂迹説を巧みに操り支配的に包括させたので、のちに国学興隆により尊王者の反感をかい維新に於いて廃仏毀釈となって大打撃を被る結果となった。このとき、廃仏の運動はそれまで役場の末端としての寺と僧侶からしいたげられてきた民衆からも興ってきたことに注目しなければならない。

そのような宗史の中で特筆すべきは官制仏教から在家主義仏教が民衆済度のために分離独立し、反体制的立場をもったことと官職化による僧侶の退廃を憂う真摯な「律師」たちが何度か戒律運動を興して僧侶の綱紀粛正に勤めたことである。 真言律の叡尊、忍性、江戸期の明忍や良永・快円・慧猛の三僧坊、浄厳、慈雲、明治期の釈雲照などの各師がそれである。さらに、戒律運動者は官職僧侶のあまり顧みようとしない民衆の教化救済に尽くしたことが注目される。  現代に於いて仏教は宗教法人法の庇護の下に置かれ、住職は代表役員という正式名称が与えられ一部に安穏としてサラリーマン化している面は否めない。

まとめ

僧侶は戒を護持することが必要である。そして、時に律儀によって行動を制禁せねばならない。それが僧侶の証であるから。そして、自分自身の戒を羯磨によって戒体を具現化するために「布薩」の実際が必要である。

僧侶は現行の法律に甘んじることなく、出世間の法に依って行動規範の源泉となし、現実のあらゆる諸問題に積極的に民衆と共に考え対処し解決して行かなければならない。まず、戒を護持することの必要性から啓蒙をはじめ、護持可能な環境整備が必要である。 これからも出家・在家を問わず高度な知識と能力を備えた若者がより専門的な修道の道、出家の道を志そうと発心し、宗門の扉を叩くことがあるはずである。宗門はその若者を受容する事のできる体制の有無によって繁栄と衰退が決定される。 今までにも、能力ある寺院子弟の寺離れや、在家の若者の新宗教や修養団体に入信する現実がそこにある。

「僧侶不用」の見解は一理はあると言える。しかし、持戒精勤の修道者である僧侶を否定することはできない。それは彼らの目指すところでもあるから。

 

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